第29回:ビーバー/パッサカリア

 ステージ上に居るたった一人の演奏家の演奏と向き合う、というのは聴き手にとっても結構な緊張を強いられるものだと思います。たとえこっちが一方的に聴く側であるにしても、です。演奏家たった一人が作品と真正面から向き合って、ぶつかって、たった一人でその作品の楽譜に織り込まれているであろう音の拡がりをその会場いっぱいに改めて解き放っていかなければなりません。そして、その孤独な作業が招く緊張感であったり、結果的に生じる気迫といったものは奏される音に乗って、その場に居る全ての人の耳と心を等しく突き刺します。優れた演奏家ほど、その突き刺す威力は大きいのだと思います。多分、この感覚はピアノよりも弦楽器や管楽器の独奏に接した時の方がより強いのではないでしょうか。
 だから、例えばヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)の<無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ>であったり、<無伴奏チェロ組曲>を聴くのは、少なくとも僕にとっては気軽さは無いですね。でもその代わりに聴き終わった後に必ず訪れてくれる静かな、深い喜びのために。
 バッハの<無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV.1004>の最後に置かれた有名な<チャコーナ(シャコンヌ)>は、単に演奏に要する時間の長さ(12~16分)だけでなく、たった一挺のヴァイオリンでこんなにも美しい音空間を描き出せるのかという意味でも巨大な存在です。そしてバッハ自体の大きさ。本当に大好きな1曲です。その昔、ギドン・クレーメルがリサイタルで弾いた<チャコーナ>単独の演奏が凄かったことは今でも覚えています。
 さて、バッハの無伴奏作品が余りにも偉大な分だけ、特に彼以前の無伴奏作品にはまだまだ光がよくは当たっていないのではないかとつい思ってしまいます。まあ僕が不勉強なだけなのかも知れませんが。という流れでハインリヒ・イグナツ・ビーバー(1644~1704)の<パッサカリア>を。
 ビーバーはバッハからするとおじいさん世代にあたる音楽家で、ザルツブルクの宮廷楽長などを務めました。またビーバーは当時のオーストリアやドイツで最も優れたヴァイオリン奏者だったとも言われています。彼はさまざまな技巧を凝らした器楽作品を手掛けていますが、特にヴァイオリンにスコルダトゥーラと呼ばれる奏法をしばしば取り入れていることでも知られています。普通、ヴァイオリンは低い方の弦からG-D-A-E(ソ-レ-ラ-ミ)という音で、開放弦の時の音を調弦しますが、それを別の音に合わせることによって通常は弾きにくい音の組み合わせや繫がりを容易にすること、それをスコルダトゥーラと言います。特殊奏法という程では無いのかも知れませんが、とにかくヴァイオリンの表現力を高めるためのひとつの工夫であったことは確かです。
 さて、今回ご紹介しようとしている<パッサカリア>は、15曲のソナタ集と合わせて<ロザリオのソナタ>という、1676年頃に出版された聖母マリアの生涯の秘蹟を讃えた大きな曲集に含まれている曲です。ソナタの方は全てヴァイオリンと通奏低音のために書かれていますが、曲集の締めくくりに置かれた<パッサカリア>は無伴奏のヴァイオリン1挺だけで演奏されます。また、最初のソナタとこの<パッサカリア>は通常の調弦で扱われていますが、それ以外のソナタは全て異なる調弦が指定されています。
 前にマレの<聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘>をご紹介した際に、ひとつの音型が何度も繰り返し続けて出てきて、その上にさまざまなフレーズを飛び交わせて行く音楽だ、という感じで書いたと思いますが、<パッサカリア>も基本的には同じようなつくりの音楽です。ただ、このビーバーの<パッサカリア>はそれを一人のヴァイオリン奏者だけでやるのです。荘重なテンポではあるにしても、少なくとも重音は当たり前になってきますし、フレーズと技術とがせめぎ合いながらもそれを音楽的な表現として整える必要もあります。8分の6拍子、ト短調。演奏時間にしておよそ9分前後。その間ずっとG-F-E-D(ソ-ファ-ミ-レ)という下行の音型が65回繰り返されます。
 色合い的にはモノトーンな音楽なのでしょうが、韻の踏み方がひたすら美しい詩のような清澄さが心を打つ音楽であると思えます。僕は残念ながら、祈りや信仰というものには縁の薄い人間ですが、ビーバーの<パッサカリア>にはそういった真摯さ(と、その美しさ)を感じずには居られません。 
 この<パッサカリア>がバッハの<チャコーナ>に直接影響を与えたかどうかは定かではありませんが、並べてみると少なくとも音楽的には近しい関係があるように見えると思います。そういう視点のCDとして寺神戸亮が2003年に録音した<シャコンヌへの道>(Denon/コロムビア)というアルバムはとても素晴らしいですね。ビーバーの他にも17世紀に生まれた無伴奏ヴァイオリンのための作品ばかりを集め、そして最後にバッハの<チャコーナ(シャコンヌ)>を置いており、まさにタイトルどおりのアルバムになっています。単に資料的な側面だけでなく、様式や時代精神の繫がりを明らかにしているという意味合いでも重要なアルバムだと思います。
 それから<ロザリオのソナタ>全曲だと、僕はジョン・ホロウェイ(ヴァイオリン)、デヴィット・モロニー(チェンバロ)にトラジコメディアが通奏低音として加わっているVirgin盤を聴いています。
f0306605_048277.jpgf0306605_0482297.jpg(左:寺神戸盤、右:ホロウェイ盤)
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by ohayashi71 | 2014-10-25 00:49 | 本編


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