第38回:ハイドン/交響曲第82番ハ長調 Hob.I-82「熊」

 そう言えばの話。
 私たちは何気なく「交響曲」という単語を使っているわけですが、よくよく考えてみると、ドイツ語でSinphonie、イタリア語でSinfonia、英語でSymphonyという言葉をよく日本語で「交響曲」という訳をあてたよなあと思ったりするのです。「響き」を「交わす」、という状態はもちろん大概の音楽に当てはまるはずですが、このSinphonieというジャンルを特に「交響曲」と呼ぶことにしたのは、実際の音楽のイメージからすると実にピッタリくるように思えます。で、因みに調べてみると「交響曲」という訳語を作ったのはかの森鷗外(1862~1922)なのだそうです。なるほど、鷗外はドイツ留学中にかなり音楽会や舞台公演を観ていたようなので、その実体験が名訳を生んだのでしょう。
 さて、交響曲の起源は17世紀に遡るのですが、現在演奏会で多く取り上げられているのは18世紀以降の作品です。そしていろいろな作曲家が試行錯誤を重ねていく中で、現在に繋がる交響曲の基本形を確立したとされているのが100曲以上の交響曲を遺したヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)です。ハイドンが最初の交響曲を書いたのが1750年代で、最後の交響曲を書いたのが1795年ですから、彼は交響曲というジャンルに40年間ぐらいは向かい合い続けたことになります。
 音楽の教科書なんかでは『ハイドンの代表作:交響曲「告別」「驚がく」「軍隊」「時計」』という感じで記されていたように思います(大昔には「さよなら」とか「びっくり」とか書かれていたこともありますが)。確かにそう並べられるのは分からないではない。ただ、もしハイドンをもう少し深く聴く機会があるのであれば、やはりもう少し突っ込んだ接し方はしておきたいところです。要は、ハイドンの交響曲が40年間書き続けられたことを思い出すなら、その間にスタイルの変化があったことを理解しておくべき、ということです。
 例えば「告別」(因みにハイドンの交響曲の愛称は大概彼自身の「名付け」によるものではありません)。嬰ヘ短調という調性、徐々にオーケストラのパートが減っていく終楽章の作りと、それらを含めたドラマティックな表現などは、ハイドンの実験精神の表れと言えるでしょう。しかもそれは何も「告別」に限ったことではなくて、その時期(1770年前後)に書かれた彼の交響曲にはしばしばこうした実験的な表現が見受けられます。これらは同時代の文学運動の呼び名から「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」の作品と扱われています。
 一方、「驚がく(驚愕)」「軍隊」「時計」といった交響曲は、いずれもハイドンが1790年代に入って手がけたもので、ハイドンのロンドン公演を計画した興行師(今でいうところのプロモーター)ペーター・ザロモンの依頼で書かれたものです。6曲+6曲の12曲が書かれたこの「ザロモン・セット(あるいはロンドン・セット)」は、彼の交響曲創作の集大成とも言うべき存在です。これらは4つの楽章相互のバランスの良さと「職人技」とも言うべき動機展開のスリルが含まれている上に、更に前述のような実験精神をもにじませた交響曲群であり、まさに「巨匠の風格と余裕」を感じさせてくれます。
 では「シュトゥルム・ウント・ドラング」と「ザロモン・セット」の間の交響曲は? それは形式と構成、更に管弦楽編成の安定化を進める流れで作られていったものであるように思えます。その意味で「ザロモン・セット」の12曲の交響曲は、僕は「完成形の向こう側」にまで達した存在だと考えています。とすると、ハイドンの交響曲の「完成形」はどの辺の曲か。それは1780年代の半ばに書かれた「パリ・セット」と呼ばれる6曲の交響曲(第82番~第87番)ではないでしょうか。
実は、僕が初めてハイドンの交響曲の面白さ、素晴らしさを実感出来たのは交響曲第82番ハ長調Hob.I-82に演奏会で接した時でした。それは往年の名ヴァイオリニストであり、指揮者としても活躍したシモン・ゴールドベルク(1909~93)の最晩年の演奏会でのことです。指揮のゴールドベルクはもちろんですが、管弦楽を見事に引き締める響きを打ち出すティンパニが全曲を通じてまた素晴らしかった。
 序奏なし(この曲の場合「助走なし」と言っても良い)で、いきなり一気に駆け上げる第1主題と、続いて現れる「タタタッタッタン」というリズム、コンパクトで優美な第2主題を中心にしたソナタ形式の第1楽章の生命力に満ちた華々しさに僕はまず感激しました。
 急速な第1楽章から一転して、伸びやかさの中に時おり明暗のコントラストもしっかりと描き出している変奏曲の第2楽章や落ち着いたメヌエットの第3楽章も良かったのですが、やはりフィナーレの第4楽章。ヴィヴァ―チェの4分の2拍子で、低弦が前打音(h=シ)と二分音符(c=ド)の半音上がるパターンで弾き出すのですが、この響きが「熊の唸り声のようだ」と当時思う人は思ったらしく、そこからこの交響曲の愛称は「熊」と呼ばれています。で、急速なテンポとこのワクワクとさせるような出だしの第4楽章は。豪快かつ爽快な楽章で、切れ味抜群の音楽。
 このゴールドベルクの名演のイメージが僕には強過ぎるのですが、それでもディスクを挙げるとすればまずはブルーノ・ヴァイル指揮のターフェルムジーク・バロック管弦楽団(Sony)ですね。圧倒的な躍動感と節度ある表現とのバランスが高度に絶妙な演奏。あとはアダム・フィッシャー指揮のオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団(Nimbus)。少し野暮ったさもありますが、優れた演奏だと思います。やり過ぎなぐらいにやっちゃっているのはトーマス・ファイ指揮のハイデルベルク交響楽団(Hanssler)。この上なく強烈に刺激的な演奏です。ということで、とりあえず重厚長大的なアプローチでは、鮮やかに「響き」を「交わす」音楽であるハイドンの真価にはなかなか触れづらいように僕には思えるのです。

f0306605_21452093.jpgf0306605_21453835.jpgf0306605_21475499.jpg(左からヴァイル盤、フィッシャー盤、ファイ盤)
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by ohayashi71 | 2015-06-15 21:49 | 本編 | Comments(0)


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