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第11回:ペルト/スターバト・マーテル

 アルヴォ・ペルト(1935~)はバルト3国のひとつ、エストニア出身の作曲家です。
 僕が彼の音楽に初めて触れたのは1988年だったはずです。ある日NHKのFMを聴いていると、それまで耳にしたことのない響きが聞こえてきました。何人かの歌い手とやはりいくつかの弦楽器だけで演奏されているその曲は、美しく、寡黙で厳しささえ覚えるものでした。静けさに圧倒される、という経験はまだ高校3年生だった僕にしてみると衝撃的なものでした。曲が終わってからの紹介コメントを聞くと、それがペルトの<スターバト・マーテル>という曲で、ギドン・クレーメルたちの演奏だったことを知りました。どうやら、ちょうどその<スターバト・マーテル>を収録した国内盤CDが発売されて間もない頃だったようで、何らか話題になっていたのかもしれません。
 それから多分数ヶ月も経たないうちに、僕は受験旅行で東京方面に行くことになりました。もちろん本題は試験なのですが、白状すると人生二度目の東京行き(一回目は前年の修学旅行)に少々浮かれていたところもありました。試験が終わると僕は秋葉原のレコード店(今はなき石丸電気)に行って何かを買って帰ることにしました。
 そこで選んだのが<スターバト・マーテル>が収録されたペルトの作品集のアルバム<アルボス(ARBOS)>でした。
 <スターバト・マーテル>の他にそれ程長くはない作品が7曲収録されており、金管合奏やオルガン独奏、少人数のアンサンブルによる声楽曲などがあったのですが、そのどれもが大きく言えばある色合いに貫かれているように思えました。それはワンパターンという意味ではなく、上述したような寡黙の美と捉えた方が良いでしょう。
 後から知ったことですが、ペルトの音楽の評価を高めたのは、<アルボス>の前に出された<タブラ・ラサ(Tabula Rasa)>というアルバムが出てからのことで、それら2枚のアルバムを制作したのはECMというレコード・レーベルでした。ECMはジャズ好きな方には有名なレーベルで、特にピアニスト、キース・ジャレットのアルバムを数多く制作していることでも知られていると思います。で、そのプロデューサーはマンフレート・アイヒャーという人物で、彼がECMを始めたのですが、その設立当初のモットーとしては「沈黙の次に美しい音」を世に送り出すというものだったそうです。設立から15年間はほぼジャズ(確か民族音楽に近い音楽も紹介していたと思いますが)のレコードを作っていたECMが「NEW Series」として出したものがペルトの<タブラ・ラサ>でした。因みに<タブラ・ラサ>にはキース・ジャレットとクレーメルが共演した<フラトレス>という作品も収録されています。
 そういう流れで眺めると、ペルトの音楽が何故ECMから紹介されたがよく理解できます。「沈黙の次に美しい音」。ペルトの音楽に相応しい言葉だと思います。
 さて、既に日付が変わっていますが、今日は3月11日でした。その意味を込めて、ペルトの<スターバト・マーテル(悲しみの聖母)>をご紹介しました。いくつか録音はあるようですが、やはりクレーメルたちによるECM盤でしょうか。f0306605_1245166.jpg
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by ohayashi71 | 2014-03-12 01:25 | 本編 | Comments(0)

第10回:ニールセン/交響曲第4番<不滅> Op.29

 カール・ニールセン(1865~1931)はデンマークの作曲家で、6曲の交響曲をはじめ、フルート協奏曲、クラリネット協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、木管五重奏曲あたりが代表的作品。
 で、今回は彼が1914年から16年にかけて書いた交響曲第4番<不滅>について。タイトルはニールセン自身によって付けられたものですが、もう少し直訳に近い感じだと「消し難きもの」というニュアンスになるそうです。では何が「不滅」であったり「消し難」かったのか。それは作曲された時期にも注目していただきたいのですが、その頃はちょうど第一次世界大戦が起こっていた時期に当たっています。デンマークは中立国家としての立場を取ったためニールセン自身が直接的に戦争に関わることはありませんでしたが、世界規模での不安や危機的状況は彼に大きな影響を与えたものと思われます。
 結果的に、残念ながらその後も世界規模での戦争や国際的に高い緊張をもたらした出来事は頻発していますが、ニールセンやその時代の人たちにとっては、彼らが経験しつつあった戦争こそ史上最大(もちろん最悪でもあるのですが)の危機的状況なものと受け止めていたのではないでしょうか。数知れない程の犠牲者と終わりの見えない破壊に対する恐怖と絶望は計り知れないものだったはずです。
 その状況で何をするか。作曲家であるニールセンは音楽を書きました。それが交響曲<不滅>です。実際のところ、ニールセンはタイトル以外、曲中には標題的なことは何も記していません。ですから作品そのものが語っていること、鳴り響く音楽そのものが全てです。もし僕がタイトルと音楽から何かを汲み取ろうとするのであれば、それは例えば人間性への信頼であり、不断の生命力の存在への信頼というようなことではないかと思うのです。まあ、これは皆さんにも是非聴いていただいた上で、何かを感じたり、考えていただければそれで良いと思います。
 編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3とチューバ、弦楽5部、それにティンパニが2組。ブルックナーやマーラーの交響曲程ではないにしても、それなりに大きな編成と言えるでしょう。特に通常は1組であることが多いティンパニが<不滅>では2組というのが非常に特徴的でもあります。最後の部分で2組がソリスト的に掛け合いを行うように書かれているのですが、それは劇的で激しいことから「ティンパニ・バトル」と呼ばれることもあります。また、それ以外の木管、金管、弦楽の各パート全てに聴かせどころがある曲ですので、オーケストラの響きも存分に体験できる作品とも言えるでしょう。
 全曲は35分程で切れ目なしに続きますが、大きく4つの部分に分けられます。第1と第4の部分は劇的かつ運動的な音楽で、間の部分には穏やかで素朴さのある音楽と、厳しく崇高さを求めるような音楽が挟まれています。第1の部分の最初に、跳ねるようで躍動的なフレーズと伸びやかに奏されるフレーズの2つが現れますが、これらが全曲のモットーとも言うべきものです。これらが第4の部分で再帰して来るのですが、それこそまさしく圧倒的なインパクトがあります。
 例によって個人的な話をすると、僕は大学生の時にこの曲を演奏しました。実力に見合わない挑戦でしたが、曲への強い共感と指揮をお願いした故・小松一彦さんの素晴らしい指導で、実力以上の演奏になったと思っています。まあ、演奏することが決まるまで、僕は作品はもちろんニールセンのことすら知らなかったのですが。
 さて、僕にとっては当然のことながら、僕は程なく<不滅>もニールセンもすっかりお気に入りになったので、演奏会本番までの半年ちょっとだけでなく、演奏会後も<不滅>のディスクをひたすら探し求めたものです。ついでに言えば、この時に合わせて知ったニールセンの交響曲第5番Op.50も超が付くぐらいの名曲だと思っていますし、今となっては<不滅>以上に聴いている作品です。今回はこれ以上突っ込みませんけれど。
 で、<不滅>のディスクについて。カラヤン/ベルリンpo(DG/ユニヴァーサル)やバーンスタイン/ニューヨークpo(Sony)なんかもありますが、まずはヘルベルト・ブロムシュテット/サンフランシスコso(Decca/ユニヴァーサル)とかサイモン・ラトル/バーミンガム市so(EMI/ワーナー)あたりを聴くことが多いでしょうか。他にもエサ・ペッカ・サロネン/スウェーデン放送so(Sony)ジャン・マルティノン/シカゴso(RCA)アンドリュー・デイヴィス/BBCso(Virgin)も好んで聴いています。ああ、あと別格なのは「青春の思い出」という意味で自分たちの演奏音源を起こしたCDですかね(笑)。
f0306605_204599.jpg(左:ブロムシュテット盤、右:ラトル盤)f0306605_21304.jpg※両方ともジャケット違いやカップリング曲違いのものも出ていますので、これはご参考程度で。
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by ohayashi71 | 2014-02-14 02:05 | 本編 | Comments(0)

第9回:ショスタコーヴィチ/24の前奏曲とフーガ Op.87

 僕がショスタコーヴィチを最初に知ったのはFMで耳にしたエフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの交響曲第5番ニ短調Op.47だったと思います。それはエアチェックして、つまりラジカセで録音して、何度も繰り返し聴いたものでした。1980年代の後半にさしかかろうという時期でしたから、ソ連という国が無くなる少し前のことです。
 レコードの帯には「革命」なんていう仰々しい呼び名が付けられていた第5交響曲は、今でもショスタコーヴィチの作品でいちばん有名なのかもしれません。でも僕はエアチェックのカセットテープを持っていたから、レコードとして最初に買ったのは第5交響曲ではなくて何故か交響曲第15番イ長調Op.141でした。これの話はまたいずれしたいと思いますが、今日はその辺で。
 で、それから数年後、大学生になった僕は夏休みにたまたま出かけた小倉のレコード市の棚で興味深いものを見つけました。ものはショスタコーヴィチの<24の前奏曲とフーガOp.87>というピアノ曲集のレコードで、確か3枚組じゃなかったかと思います。中高生の時に愛読書の一つが<クラシック・レコード総目録>だった僕ですが(笑)、やっぱり情報量がそれでも少なかったのですね、そういう作品があることは知りませんでした。中古とは言え極端には安くはなかったと思いますが、結局、僕はそれを買って大分に帰りました。
 大学(僕は関西の某大に行ったのですが)に上がってからは、サークルのオケ仲間たちとショスタコーヴィチの交響曲をレコードや実演で聴いては盛り上がることがしばしばでした。僕たちの学年はブラス出身者が多かったせいでしょうが、やはりオーケストラが壮絶に絶叫するような音楽にある種のカッコよさを覚えていたからだと思います。だから仲間内でショスタコーヴィチというと専ら交響曲の話ばかりでした。
 ただ、僕は高2か高3の夏休みにやはりエアチェックしたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲15曲(演奏はボロディン弦楽四重奏団)を聴いていたので、彼のイメージは一部の有名な交響曲からだけで括れるものではなさそうであることは、何となく感じてはいました。
 その何となくを、僕の中ではっきりとさせたのが<24の前奏曲とフーガ>でした。それはショスタコーヴィチが1950年から翌年にかけて手がけたもので、バッハの<平均律クラヴィーア曲集>に改めて感銘を受けて書かれた作品だそうです。前奏曲とフーガのそれぞれが独白であり、内省であり、孤独な詩であり、美しさや軽やかさ、強さなどさまざまな表現がなされています。別人とまでは言いませんが、交響曲で見せる彼の姿とはだいぶ違うと言っても良いでしょう。
 24曲全てが素晴らしいと思いますが、いくつか挙げるとすれば、僕はまず第4番ホ短調ですね。重く静かな前奏曲に続いて、つぶやきのように最初のフーガ主題がアダージョで現れます。フーガなのでその主題が5度上とか8度下とかで次第に積み重ねられて行くのですが、途中から一旦別のフーガ主題が出てきてそれがしばらくフーガを続けます。その別の主題の音楽的な内圧が高まっていったところで最初の主題が再び現れ、そこから二重フーガという形を採ります。声部が重なり合うことで荘重さと運動性のバランスが高い次元で保たれたまま曲は終わります。演奏時間にすると前奏曲と合わせて8分程度ですが、体感的な時間はもっと長いかもしれません。
 最後の第24番ニ短調も第4番に似た作りですが、実際の規模は更に大きく、まさに締め括りにふさわしいものです。重さ、という意味ではこの2曲よりも重いものや、それを超えて深淵を垣間見る感じで怖いようなものもありますし、逆に第2番イ短調のように軽さときびきびとした動きが楽しいものもあります。第12番嬰ト短調はアレグロで5拍子のフーガですし、第15番変ニ長調なんかはフーガ主題に3拍子、4拍子、5拍子が混在していて諧謔性が強かったりもします。
 なので一気に24曲聴く必要も無いですし、番号順に聴く必要も無いと思います。それだけの広がりのある曲集ですから。
 で、僕が愛聴しているのは、その初めて買ったレコードの弾き手でもあったタチアナ・ニコラーエワのものです。もともとショスタコーヴィチは彼女のバッハ演奏に感銘を受けてこの曲集を手がけたそうです。更に初演も彼女に頼んでいますし、彼女も終生この曲集を愛奏しました。彼女の最後の演奏会もこの曲集だったそうです。ニコラーエワは少なくとも3回全曲録音しているはずですが、僕が聴いているのはいちばん最初のもので1962年の録音です(Venezia)。後の1987年(Regis)、1990年(Hyperion)も名演と言われています。
 他の演奏を挙げておくとすれば、コンスタンティン・シチェルバコフ(Naxos)や、かなり上記のような作品の印象からは外れるかもしれませんがそれはそれでアリなキース・ジャレット(ECM/ユニヴァーサル)とか。あと、全曲ではありませんが、スヴャトスラフ・リヒテル(Supraphon/コロムビア)とショスタコーヴィチ自身の演奏(VeneziaとEMIの2種/どちらも入手困難か)も大事な録音です。
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ニコラーエワ盤(1962年録音)
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by ohayashi71 | 2014-02-01 03:22 | 本編 | Comments(0)

第8回:ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 Op.78

 去年、仕事である演奏会のプレ・イヴェントとしてブラームスについて話す機会がありました。喋りだけではお客さんも面白くないでしょうから、ブラームスについて何枚か資料を作って配ったのですが、そこにブラームスの写真を2枚載せておきました。ひとつは晩年のもの、もうひとつは青年期のものです。どちらもそれなりに知られている写真ですが、どちらかと言えば晩年の方のものにより馴染みがあるのではないでしょうか。並べてみると別人かと思うぐらいに見た目が違うのですけれど。
 さて、どんな人でも若い時代というのは当然ありますが、ブラームスの音楽を聴いていると、それがたとえ彼の青年期の作品でもあっても、何故か僕はその晩年の姿の方を思い浮かべてしまうことがあります。もちろん、結果論的に言えば僕たちは実際の晩年の作品も知っているから、それらと比較すると表現が「若い」ようには思うのでしょうが、でもそこに習作的な雰囲気や過渡期的な様子があんまり窺えないのもまた事実であるような気がします。要は、ブラームスは活動初期から既にハイ・レヴェルに完成された作曲家だった、という意味です。だからブラームスの作品にハズレが少ない。まあ、それはあくまでも少なくとも僕から見れば、ということで。
 その一方で、ブラームスの音楽について「渋い」という言い方をすることがあります。難解とまでは行かないまでも、地味だったり愛想が無かったり。なので、その渋みの良さが分かるようになるためには、僕の場合は自分自身が経験を積むであったり、年齢を重ねていくことが必要でした。
 そうやってようやく付き合えるようになったのが、ブラームスの室内楽作品でありピアノ独奏曲です。結構な数にはなりますが、名曲揃いだとも思います。
 今回はそこからヴァイオリン・ソナタの第1番を。
 完成、初演が1879年と言いますからブラームスが46歳の時の作品ということになります。4つの交響曲で言えば最初の2曲は既に世に出た後です。交響曲のがっちりとした重厚な佇まいとは異なり、3つの楽章のいずれもが流れるように美しい音楽ですが、僕は特に第3楽章に惹かれます。
 と言うか、このソナタの肝は第3楽章にあります。第3楽章の冒頭に出る主題は第1楽章の主題と関係がありますし、第3楽章の中間には第2楽章の主題が再帰してくるのです。最終楽章としてのまとめということにはなるのでしょうが、しかし、そもそも第3楽章冒頭の主題がブラームスの別の作品からの引用なので、このソナタ自体の出発点は第3楽章にある、というか第3楽章を導き出すために前2つの楽章があると言いたくなってしまう作りになっているのです。しかも、この第3楽章はナイーヴでウェットで優しさのある音楽であって、交響曲第1番のような圧倒的な輝きのフィナーレとは真逆な存在なのです。
 引用と書きましたが、元ネタはブラームスの歌曲集<リートと歌>Op.59の第3曲<雨の歌>であり、第4曲<余韻>です。この2曲ではそれぞれ最初に全く同じ節が出てきます。で、その節をブラームスはヴァイオリン・ソナタのためにまた使ったということです。
 旋律美と器楽ソナタとしての構成とのバランスを両立させた魅力的な作品、それがこのソナタであるというふうに僕は思っています。
 CD。たくさんありますが、僕の基準は第3楽章で。早過ぎず遅過ぎず、また弾き過ぎずというイメージにしっくりくるのはオーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)とマリア・ジョアオ・ピリス(ピアノ)のコンビによる演奏(DG/ユニヴァーサル)ですかね。あと、ブラームスと同時代のピアノを使ったピリオド系の演奏であるイリヤ・コロル(ヴァイオリン)、ナタリア・グリゴリエヴァ(ピアノ)(CHALLENGE CLASSICS)も結構聴いています。
 それと因みに元ネタの歌曲2曲はディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌とイエルク・デムスのピアノで(DG/ユニヴァーサル)。
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by ohayashi71 | 2014-01-23 03:30 | 本編 | Comments(0)

第7回:モーツァルト/交響曲第38番二長調K.504

 満は持していませんが、ようやくヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)のことを。
 僕が最初に買ったモーツァルトのレコードは、ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団の交響曲第39番変ホ長調K.543と第40番ト短調K.550のLPでした。因みに中古で。これは中学から高校時分によく聴いたものです。特にト短調の方。
 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だったり、「トルコ行進曲」を含むピアノ・ソナタ第11番とかも親しみやすい音楽であることは承知していましたが、それよりも彼の短調作品が持つドラマの方に音楽少年としては大いに惹かれたのでした。そのドラマ性にロマンティックな味わいも加味したのがワルターの演奏だったように思います。ト短調交響曲の第1楽章の再現部の途中で、楽譜に無い一瞬のパウゼ(休止)を挟むことで高まる悲愴感には今でもドキドキしてしまいます。
 ただ中学時代の後半に、僕はブルックナーにガッツリとハマッてしまい、まあそれはそれで良かったのですが、そのおかげで、いわゆる「クラシックの王道中の王道」的な作曲家やレパートリーを積極的に聴いていく感じにはならなくなりました。普通のクラシック好きなら知っていて当たり前、という曲はあんまり知らないのに「誰が聴くねん!」という曲は何故か知っている、そんな不順で不純な音楽青年に僕は育ちました。大学生時代にはモーツァルトの作品を実際にいくつか演奏もしましたが、まだ素晴らしさを十分に分かってはいなかったと思います。
 そんな僕とモーツァルトとの距離感(と書くと大げさでしょうが)を大きく変えたのは、社会人になって最初の職場での市民オペラの制作体験をした時でした。そこで僕はモーツァルトの<魔笛>と<フィガロの結婚>の上演に担当の一人として関わりました。上演は日本語でしたし、オケは使えないのでエレクトーンで代用という変則的なものでしたが、一方で半年以上の稽古期間もずっと立ち会ったおかげで、台詞や物語と音楽との非常に濃い関わり具合の面白さをしっかりと味わうことが出来ました。それ以降、僕は「モーツァルトはオペラ!」と信じるようになりました。
 一癖もふた癖もある多くの人物が登場して、錯綜し、おのおの喜怒哀楽をぶつけ合いながら話が進み、最後に最高のハッピーエンドを迎える喜劇<フィガロ>は、今で言えば三谷幸喜ばりの面白さに満ちた作品だと思います。また、音楽と話の筋自体はねじれがある<魔笛>にしても、第2幕終わり近くのパパゲーノとパパゲーナの再会の場面は、微笑ましいけれどその軽やかさの中に見える愛の勝利がとても感動的ですらあります。実は僕は当時上演の際、その場面になると舞台の袖で涙ぐんでいました。まだ本当のフィナーレ、大団円ではないはずなのに、です。もうそこでお話が終わってしまって良いんじゃないか、と本気で思ってもいましたね。
 で、そういった経験をしてみると、モーツァルトのいろいろな音楽、特に器楽作品の見え方も変わってきます。
 ということでようやく交響曲第38番二長調K.504です。初演の場所に因んで「プラハ」とも呼ばれています。急―緩―急の3つの楽章から成っていますが、楽譜に指示されている繰り返しをどの程度やるかによって演奏時間もだいぶ違ってきます。ワルターやカール・ベームをはじめ、往年の指揮者は大体繰り返しを全部はやっていないので25分から30分ぐらいなのですが、近年のピリオド楽器系の演奏になると35分から40分近くかかります。
 繰り返しというのは、単に形式的なものもありますし、省略しても大して印象の変わらない作品だってあるのでしょうが、「プラハ」の場合だとこれは是非やってほしいなあと僕は思っています。まあ、やらなくても優れた作品であることには変わりありませんが、やった場合だとベートーヴェンの、例えば「英雄」交響曲のようなスケールの大きな作品であるように思えてくるはずです。
 重々しささえ覚える第1楽章の長い序奏に続いて、アレグロで晴れやかな主部が始まります。音楽の流れは滑らかですが、楽譜を見ると非常に凝った造りになっています。ソナタ形式で言うところの提示部のことですが、それは後に続く展開部で示されるドラマへの伏線だらけなのです。このドラマの高揚感は、正直なところ、モーツァルトが「プラハ」の翌年に書いた最後の3つの交響曲(第39番~第41番「ジュピター」)よりも僕は強いものを感じています。オペラのように歌詞や物語があるドラマとは違いますが、器楽だけで作り上げることの出来るドラマの可能性を、彼は一気に拡げたようにも思えます。
 続く2つの楽章でもそれぞれに素晴らしい音楽ですが、プレストの第3楽章で畳み掛けるようにコーダに突き進んで行ったかと思った瞬間に、反復記号によって展開部以降の繰り返しが始まるところなんかは、僕は聴く度に、つい軽く興奮してしまいます。
 さてディスクですが、僕の愛聴盤と言えばまずはトレヴァー・ピノック/イングリッシュ・コンサート(Archiv/ユニヴァーサル)です。僕は彼の指揮による「プラハ」の実演を観たことがありますが、それはそれはとても素晴らしかったです。今であれば、多分モーツァルトの交響曲全集のボックスというかたちでしか入手できないかも知れませんが、初期から中期のモーツァルトの交響曲も聴く分には良いセットだと思います。
 ピノックは第1楽章の展開部以降の繰り返しはしていませんが、それもやっている演奏としてはチャールズ・マッケラス/スコットランド室内管弦楽団(Linn)を挙げます。こちらは「プラハ」から「ジュピター」までの4曲収録の2枚組です。演奏がしっかりしているおかげで、繰り返しによる冗長さなど全く無いと思います。
 往年の名演系であれば、やっぱりカール・ベーム/ベルリン・フィル(DG/ユニヴァーサル)でしょうか。
f0306605_23411474.jpg(ピノック盤(左)とマッケラス盤)f0306605_23413858.jpg
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by ohayashi71 | 2014-01-14 23:46 | 本編 | Comments(0)

第6回:プーランク/グローリア

 年が明けました。
 今年もそれなりにお付き合いいただると幸いです。
 さて、この時期だとニュー・イヤー・コンサートのことを話題にした方が良いのかもしれませんが、今日は、しません。特に深い理由はありません。まあ、ここで書くならコレ、というのはあるのですが、それはまたの機会に。
 で、今回はフランシス・プーランク(1899~1963)の<グローリア>を。
 僕がプーランクの音楽をちゃんと聴いたのは、最初の職場で初めて解説を書くことになった時だったと思います。ものはピアノと管楽器のための六重奏曲でした。軽妙さとシリアスさが隣り合わせになっていて、とても不思議な感じがしたのですが、その後、プーランクの他の作品をいろいろ聴いていくと、その隣り合わせは彼の音楽ではしばしば見られるものだということが分かってきました。
 <グローリア>を知ったのも多分その解説を書くための参考のひとつとして聴いたからだろうと思います。僕が入手したCDはジョルジュ・プレートルがフランス国立放送管と合唱団、それにソプラノ独唱のロザンナ・カルテりと1961年に録音したものでした(EMI/ワーナー)。最初はカップリングされていた<オルガン、弦楽合奏とティンパニのための協奏曲>(オルガンは作曲家としても有名なモーリス・デュリュフレ)に興味があって買ったもので、それはそれで作品自体も演奏も素晴らしい内容だったのですが、<グローリア>にも直ぐ惹かれました。
 さすがに宗教曲(プーランクは敬虔なカトリックだったそうです)なので、他の作品に比べると軽妙さは薄いかもしれませんが、荘重過ぎない輝かしさと真摯さ、そして何よりも随所で聞こえてくる美しいメロディ。声楽を伴うので、もちろんメロディアスであって欲しいのですが、それは大衆的なセンスを持ったメロディと言えるかもしれません。大衆的な、と書きましたが、それは例えばシャンソンのような歌謡曲にも通じるセンス、と言い換えても良いです。いわゆるクラシック音楽的な、少し意地悪な表現をすれば取り澄ましたような「美メロ」なんかよりも、もっとストレートに現代人である僕たちの感覚に訴えかけられる、親しみやすい美しさが含まれているように思います。f0306605_233498.jpg
 プレートルの<グローリア>のディスクはプーランクが立ち会って行われた世界初録音でした。だからなのかもしれませんが、全曲通して作品に対する熱い共感がビンビンに伝わってくる演奏です。プレートルの他にもいくつかの録音を聴いてはいますが、結局僕はプレートルのCDをいちばん多く聴いています。オケにしても合唱にしても、他の演奏の方が綺麗に整っていたり、スマートだったりはすることがあるのですが、プレートル盤の何だかザラリとした感触が、前述した作品への共感に結び付いているように思えて仕方がないのです。更に、ソプラノ独唱のカルテりが美しい声で本当に素晴らしい。とは言え、現在、プレートル盤はプーランクの作品全集20枚組のセットぐらいでしか入手が難しいらしいので、例えばリチャード・ヒコックス指揮のもの(Virgin/ワーナー)とかでもアリかと。
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by ohayashi71 | 2014-01-08 02:35 | 本編 | Comments(0)

第5回:エルガー/交響曲第2番変ホ長調Op.63

 <威風堂々>という行進曲はみなさんよくご存知だと思います。
 少しだけ正確に言えば、<威風堂々>と題された行進曲は全部で5曲あるのですが、普段僕たちがよく耳にするのはその第1番です。僕は学生時代に第4番をオーケストラで演奏したことがあるのですが(あ、第1番もありますよ)、曲の作りはともかくとして(行進曲ですから)、その中間部の旋律も第1番の有名なアレと似た感じがしたので、当時はついつい「パクリやん」と思ったものでした。
 さて、今日はその<威風堂々>の作曲家、エドワード・エルガー(1857〜1934)のことを。
 エルガーと言うとまずは<威風堂々>(の第1番)だったり<愛のあいさつ>、ということになってしまうのかも知れませんが、それぐらいと思っているとあまりにも勿体ない。2曲の交響曲や管弦楽のための変奏曲<エニグマ>、チェロ協奏曲などは明らかに傑作ですし、他にもまだまだ名曲と呼べる作品はあります。
 で、そんなエルガーの作品から交響曲第2番です。
 いきなり変な言い方をしますが、交響曲なのですがやっぱり<威風堂々>なのですよ。<威風堂々>でも何となく醸し出されている雰囲気がそのまま大きくなって、という意味です。ではその雰囲気とは? それは何よりも気品や品位の高さでしょう。エルガーは楽譜にしばしば「上品に」とか「気高く」という意味を持つ「nobilmente」という指示を書き込んでいます。これはあんまり他の作曲家には見当たらないことです。
 話は逸れますが、少しイメージしやすいかも知れないことを書きます。その昔NHKでイギリスのTV局が制作したシャーロック・ホームズのドラマが放送されていました。ホームズを演じたジェレミー・ブレットがとにかく素晴らしかったのをはじめ(声の吹き替えをやった露口茂も)、映像を見るとホームズの、そして原作者であるコナン・ドイルの生きた時代や当時のイギリスの人々はあんな感じだったのだろうなあ、と納得させてくれるようなものだったと思います。高潔な紳士であり、知的であり、ちょっと感傷的でもあるホームズ(ついでに言えば、彼はヴァイオリンを演奏します)。さて、ここで大事なのはドイルとエルガーは全く同時代人だったということです。今、ホームズについて書いたような雰囲気が、僕はエルガーや彼の音楽にものすごく通じているように思えてならないのです。
 エルガーの音楽からは懐古や感傷の空気も流れていますが、それはピンと背筋の伸びたきれいな姿勢を保ったまま醸し出されているように思います。そこは同じく同時代人だったグスタフ・マーラー(1860〜1911)の悩みもがくような音楽とは大きく異なる点です。とは言え、今の僕たちはどちらにも共感したって構わないと思います。
 曲の話からかなり遠くに行ってしまいましたが、しかし、作品全体から受ける雰囲気はここまで述べてきたようなことである程度お察しいただけるような気がします。ひとつ加えるとすれば、交響曲第2番は全体的に輝きを放ってはいますが、それは夕映えのようなものだと言うことです。第1番でも同じ雰囲気はありますが、第2番はもっと黄昏に近い感じと言っても良いかも知れません。
 3管の大きな編成のオーケストラが細やかに扱われ、その巧みさは本当に素晴らしいのですが、そこにエルガーの音楽の難しさがあるように思えます。オケががんばらないと聴きとり辛い部分も多そうですし、一方でただ鳴らしさえすれば、音を出し切りさえすればいい、というものでもないようなのです。そこで重要になるのがエルガーが「nobilmente」と書いたものをどう表現するか、です。
 ということで、僕の愛聴盤はイギリスの大指揮者、エードリアン・ボールト(1889〜1983)が1975年にロンドン・フィルと録音したもの(EMI/ワーナー)。ボールトも僕の好きな指揮者の一人ですが、彼のエルガー録音は別格的存在ではないでしょうか。この交響曲第2番の録音にしても、当時85か86歳の指揮者とは思えないぐらいの張りが全体にあるのと同時に、オケの響きの整理、テンポや音楽の流れの緩急の付け方が本当にドンピシャだと思います。f0306605_0232979.jpg
 僕はボールトのエルガーを学生の頃からコツコツ集めて来ましたが(国内盤がほとんど出なかったので、輸入盤で)、最近はドドンと19枚組のボックスも出ているようです。まあ、まずは単発ものからの方が良いとは思いますが。
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by ohayashi71 | 2013-12-27 00:23 | 本編 | Comments(0)

第4回:ヘンデル/メサイア HWV.56

 クリスマスも近いことなのでヘンデルの<メサイア>を。
 僕は学生時分にオーケストラのサークルに入ってオーボエを吹いていました。まあ、大学に入ってから始めた楽器だったので大して腕は上がりませんでしたけれど。で、そのオケは毎年クリスマスの頃になると<メサイア>の全曲をやる演奏会が恒例になっていました。合唱は学内の合唱サークルと系列大学の有志合唱団とで、指揮と声楽ソリスト、チェンバロ、オルガンはプロの奏者を招く、というかたちでした。
 <メサイア>は、名前と「ハレルヤ・コーラス」ぐらいしか知らない状態で僕はサークルに入った訳ですが、知れば知るほど、演奏すればするほど素晴らしい作品であることが理解出来るようになりました。ただ、曲が長い(演奏時間にして2時間30分前後)のと、管楽器チームは出来るだけメンバーが多く舞台に上がれるように、ということで、前半と後半とでメンバー・チェンジをしていました(アマチュア・オケらしい話です)。そのため、大学時代にあった4回の演奏会で全曲を通して舞台に上がったことは1度もありません。4回生の時の最後の演奏会なんかは、引退扱いだったので(後輩の演奏機会を奪ってはいけないのです)舞台に上がらずホールで表方のスタッフをしていましたね。ちょうど卒論提出日で、徹夜明けでヘロヘロになっていましたが。
 さて、僕たちが使っていた楽譜はヘンデルのオリジナルではなくて、19世紀の音楽学者でプラウトという人物が管楽器パートを近代以降のスタイルで書き加えたヴァージョン(プラウト版)でした。オケ側の人数回しの関係や合唱の人数が多いというだけでなく、何よりも祝祭的な行事でもありましたし、少々派手めな感じになっても許されるだろう、という判断もあっての楽譜選択だったかも知れません。
 しかし、練習にあたっては参考のCDとかも探してみるのですが、実は当時(1990年代初頭)の時点でプラウト版を使って録音したプロの演奏はほぼ見当たりませんでした。大概は当時もう主流になりかかっていたピリオド楽器系(古楽系)か、往年の演奏家がヘンデルのオリジナル編成で演奏したものか、ぐらいだったはずです。そもそもCDにすると、上述のとおり曲が長いので2枚組か3枚組になるので、貧乏学生に取っては大きな出費になってしまいます。なので、そんなに何種類も購入することは出来ません。
 という状況で僕が最初に手にしたCDは、レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルの抜粋盤(Sony)でした。聴いてみると、何だか合唱の響きがコワいのです。もちろんマジメにやってはいるのでしょうが。最後の「アーメン・コーラス」なんかはテンポ設定も含めて何だかケンカ腰に聴こえて、変な感じでした。一応、一部にプラウト版も使っていたようだったので、後に興味本位で全曲盤(曲のカットや順番の入れ替えもあり「バーンスタイン版」と言っても良いでしょう)を探して買いましたが、今となってはあんまり一般的とは言えないディスクです。
 その次に買ったのがオットー・クレンペラー/フィルハーモニア管(EMI/ワーナー)の全曲盤でした。今は2枚に収まっているはずですが、当時出ていた輸入盤は3枚組でした。因みに、白状しておきますが、クレンペラーは僕が最も尊敬している指揮者なので愛聴盤も多く、そのためこれからここでもちょいちょい名前は出て来るはずです。
 で、クレンペラーの<メサイア>ですが、これは今でも素晴らしいと思っています。編成はオリジナルのとおり(オーボエ、ファゴット、トランペット、ティンパニと弦楽と通奏低音)ですが、合唱はやや多めな感じ。クレンペラーは「(テンポが遅くて)重い」という印象が一般的なようで、確かにここでも軽やかさとは真逆の演奏かも知れません。しかし、響きだけでなく、合唱パートと器楽パートのそれぞれが織り成す音の動きの明晰さ、そして曲が持つドラマ性、そういったものをトータルした時の音楽の密度の濃さは格別だと思います。
 学生の時に入手した<メサイア>のディスクで、もうひとつ触れておかなければならないのは当時中古LPで入手したトーマス・ビーチャム/ロイヤル・フィル(RCA/BMG)ですかね。これは、「もしヘンデルが20世紀に生きていたら、きっと大編成のオーケストラを使ったに違いない」という仮定で作られた「グーセンス版」というヴァージョンで録音されたものです。なので、オケは打楽器なども含む3管の大編成らしいですし、付け足された音符もたくさん。その上テンポ設定はまさに往年の巨匠風。シンバルが炸裂しブラスがバリバリ吹く「ハレルヤ・コーラス」なんか凄まじいですよ。何だか「総天然色のフルカラー映画」のような一時代前のゴージャスな感じで。まあ、お祭りも極めればこうなる、ということで、僕自身も面白がって聴くことはありますので全否定はしませんが。因みにこの録音も目出度くCDになっています。
 一方で、ヘンデルが意図した響きや当時のテンポ設定などを研究し、その成果を踏まえてそこに立ち返ることにベースを置くのがピリオド楽器系(古楽系)の演奏家たち、ということになるのでしょう。僕自身はどうしても学生の時の自分たちの演奏スタイルも記憶に残っていたので、このスタイルのディスクに触れるようになったのはだいぶ後のことでした。
 楽器編成の小ささや合唱の人数の少なさを考えると、一見迫力の点で物足りなさを思ってしまうかもしれませんが、実際には大概の名の通ったピリオド系の演奏家であれば、その点は大丈夫のはずです。速めのテンポ設定やくっきりした発音によるアクセント付け、更に各パートの絡み具合や動きがより分かりやすくなることで見えて来るドラマ。こうなってきて改めて<メサイア>を聴くと、全ての曲(僕の持っている楽譜では53曲)がドラマと美しさを備えていることに改めて気付かされるのです。当たり前ですけれど「捨て曲」なんて1曲もありません。だから2時間30分なんてあっという間ですよ。それでもキツい感じであれば、コーラスの曲だけからでも聴いてみてください。
 ピリオド系のCDも今はたくさんありますが、例えばポール・マクリーシュ/ガブリエリ・コンソート(Archiv/ユニヴァーサル)とかジョン・エリオット・ガーディナー/イギリス・バロック管(Philips→Decca/ユニヴァーサル)あたりはいかがでしょうか。後者の声楽パートの上手さは未だに別格かも。(ジャケットはマクリーシュの輸入盤)f0306605_232138.jpg
 最後に。
 僕が<メサイア>という作品を素晴らしいと思えるようになったのは、大学の2回生の時のことで、それは今年(2013年)お亡くなりになった小松一彦さんを指揮にお招きした演奏会に参加した際のことでした。ピリオド系のテンポや表現を入れつつ、プラウト版が持つ響きの多彩さも活かした独特なドラマを表現しようとした小松さんは、それを「ネオ・バロック」と言われていたことは今でも覚えています。
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by ohayashi71 | 2013-12-16 02:43 | 本編 | Comments(0)

第3回:ピアソラ/バンドネオン協奏曲

 今回はアストル・ピアソラの話をします。
 ピアソラの名前を僕が初めて知ったのは、1980年代の後半ぐらいだったと思います。それは現代音楽専門の弦楽四重奏団であるクロノス・クァルテットが初来日した際に、NHKのニュースで彼らが紹介されていて、その中でピアソラの曲を激しく演奏していた映像が流れたように記憶しています。ただ、その時はクロノスの印象の方が強かったはずです(因みにそのピアソラ作品はおそらく<フォー、フォー・タンゴ>という曲です。クロノスの<冬は厳しく>というアルバムに収録されています)。
 そして関西で学生生活、という名の音楽生活を送っていた僕はある日(多分1991年のこと)大阪の心斎橋のタワーレコードに行きました。何目当てで行ったかは覚えていませんが、クラシックのフロアでびっくりするくらいにカッコイイ音楽が流れていることに気付きました。どうやら発売されたばかりのクロノス・クァルテットのCDでした。それがピアソラの<ファイヴ・タンゴ・センセーションズ>という作品でした(Nonsuch/ワーナー)。それはピアソラ自身が加わってクロノスと演奏をした作品でもあったのですが、これが僕にとっての初のピアソラ体験でもありました。<ファイヴ・タンゴ・センセーションズ>は、今改めて聴くと、特に前半が若干ユルいかなとも思うのですが、動きのある楽章でのシャープさ(ピアソラもクロノスも)はやっぱりカッコイイなと。
 で、そこまでがピアソラ存命中の話。ピアソラは1992年に71歳で亡くなっています。
 そして、その次の大きなピアソラ体験は数年後に突然訪れました。その頃、僕は水戸に居たのですが、休みの度に東京に出かけて行ってCD漁りをしていました。ある休日、例のごとく東京に出かけ、最後に新宿のタワーレコード(今とは場所が違って、当時はルミネの上の方にこじんまりとやっていましたかね)に立ち寄りました。棚を眺めていてふと目に飛び込んできた文字をよく読むと、ピアソラのバンドネオン協奏曲とあります。直感的に「これはイケる!」と思った僕はレジに直行です。
 移動用にポータブルのCDプレイヤーを持ち歩いてた僕は、上野から水戸に向かう電車に乗り込んで席に座ると直ぐに封を切って買ったばかりのピアソラのCDを聴き始めました。
 出だしのノリを聴いただけで、僕は大きくガッツポーズをしました。少なくとも心の中では。
 ピアソラのバンドネオン協奏曲は、クラシック的な意味での協奏曲そのもので、独奏バンドネオンのバックには弦楽合奏、ピアノ、ハープと打楽器が付いており、急-緩-急の3つの楽章から成っています。バンドネオンはリズミカルに舞ったり、孤独や哀愁という表現が相応しいため息のようなフレーズを弾いたりするのですが、それらはタンゴやミロンガのノリそのものです。これはピアソラでないと作り出すことが出来ない独特な緊張感のある音楽でもあると思います。
 そういう意味で、ピアソラの自作自演のディスクというのは非常に重要だと思います。で、今回は上述したバンドネオン協奏曲の自作自演のCDをオススメしておきます(Nonsuch/ワーナー)。f0306605_441778.jpgバックには<ミッション・インポッシブル(スパイ大作戦と言った方がピンときますが)>のテーマ音楽を書いたラロ・シフリンが指揮する、セント・ルークス室内管弦楽団が付いています。因みに、ピアソラとシフリンは共にアルゼンチン出身であり、彼らはピアソラのパリ時代には既に共演していたそうなので、このディスクでの共演は別に唐突なものではないでしょう。
 ピアソラの音楽が日本で広く一般的になったのは、ヨーヨー・マがCMで<リベルタンゴ>を弾いていたあたり(CDも大ヒットっしましたが)なのでしょうが、その前にはギドン・クレーメルの一連のピアソラ・シリーズの第1作である<ピアソラへのオマージュ>も出ています(1996年/Nonsuch/ワーナー)。そうした流れを受けてか、当時、特にクラシック系の演奏家がこぞってピアソラ作品を取り上げていたはずです。ただ、クレーメルを除けば、クラシック系の演奏家でピアソラの自作自演に匹敵するレヴェルでピアソラの音楽の凄みを伝えてくれた演奏はほとんど無いようにも思います。まあ、これはあくまでも僕の主観ですが。
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by ohayashi71 | 2013-12-01 04:09 | 本編 | Comments(2)

第2回:ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53

 今日はベートーヴェンのピアノ・ソナタです。
 いわゆる「ワルトシュタイン」と呼ばれるヤツですね。
 32番まで番号付けされているベートーヴェンのピアノ・ソナタでは、3大ソナタと称されることの多い「悲愴」「月光」「熱情」が今でも人気曲なのかもしれません。少なくとも僕がクラシックをかじり始めた頃はそうでした。3曲でちょうど1枚のレコードに収まるぐらいの演奏時間というのも良かったのでしょうし、それぞれに良い意味での「分かりやすさ」があるようにも思います。
 僕も多分その辺りから入ったのだろうとは思うのですが、その3曲よりもはるかに印象深い初体験になったのは「ワルトシュタイン」でした。高校生の時に、別府の中央公民館で行われた県の高校音楽コンクールだかに出かけたのですが、そこに参加していたどこかの高校の女子生徒が弾いていたのが「ワルトシュタイン」の第1楽章でした。本当は全曲で3楽章ある作品なのですが、多分制限時間の都合で第1楽章だけだったのでしょうが、それだけでまずは当時の僕には十分なインパクトでした。
 ひとことで言えば、ピアノ1台でもスケールの大きな音楽世界を生み出せることへの驚き、という感じでしょうか。それはソナタ形式というスタイルが元々持っているドラマの可能性を十二分に拡大した構成力と、ピアノという楽器の持つ運動性や響きに対する感覚とを見事にマッチさせたベートーヴェンの凄さに対しての驚きでもあったろうと思います。
 で、とにかく僕は弾けないのは分かっていても、自分でも「ワルトシュタイン」に触れてみたくなりました。それで全音のピアノ・ピースにあった楽譜を買ってきて第1楽章の冒頭分数小節をどうにかさらって、それなりに楽しんだものです。もちろん所詮自己満足でしたけれど。f0306605_254262.jpg
 さて、CDが欲しくなりました。ガイド本とかを見るとソ連(まだそんな国が存在した時代の話です)のピアニスト、エミール・ギレリスの演奏(DG/写真)が素晴らしいとのこと。当時出ていたそのCDには、やはりベートーヴェンのソナタで第23番ヘ短調Op.57と第26番変ホ長調Op.81aの2曲も同時に収録されていました。まあ、いわゆる「熱情」と「告別」ですね。当時は小遣いの制約上(笑)、なるべく定評のある演奏で、たくさんの名曲を聴きたい、というささやかな願望が強い時期でもありましたから、僕にはうってつけの1枚でした。
 「ワルトシュタイン」の話に絞っておくと、残る2つの楽章、つまり、続く楽章への導入部としての役割も持つ、瞑想的な第2楽章と、第1楽章とは趣きこそ異なるけれど、やはり伸びやかでダイナミックな第3楽章の両方ともがまた素晴らしい音楽であることを知って、ますます大好きな1曲になりました。
 ギレリスは、響きがクリアで美しいだけでなく、聴けば聴くほど、テンポ設定や音の強弱の変化の付け方などが、僕にとっての「ワルトシュタイン」という作品の理想像の典型とも言いたくなる演奏であることがはっきりしていきました。簡単には使いたくは無いのですが「完璧」と表現せざるを得ないぐらいの、長年の愛聴盤でもあります。もちろん、その後、ギレリス以外の演奏もいろいろ聴きましたが、なかなか僕の中でそれに取って代わるだけのイメージを残すような演奏には出会えていないのが現状です。
 唯一、挙げるとすれば、それはまるでギレリスとは趣きが異なる印象を与えるはずですが、やはりソ連出身のピアニスト、タチアナ・ニコラーエワの最後の録音(NOVALIS)となった1枚でしょうか。正直、危なっかしささえ覚える部分のある演奏ではありますが、どこまでも穏やかに、作品の持つドラマも生々しいものではなく、噛みしめるように語られた味わい深い演奏だと僕は感じています。特に第3楽章の途中、単にロンド主題への再帰へと向かう経過的な部分、だから特に全体構成的には重要ではない部分ではありますが、そこで彼女が見せる詩的な表情はつい「奇跡の一瞬」とでも呼びたくなるぐらいに愛おしかったりもします。ただ、このニコラーエワのディスクは、今は廃盤になっているので残念ながら入手は難しいだろうと思います。
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by ohayashi71 | 2013-11-15 03:00 | 本編 | Comments(2)


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