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第17回:ヤナーチェク/歌劇<利口な女狐の物語>

 僕にとってオペラというジャンルはなかなかとっつきにくいものでした。
 興味はありましたが、実演に接する機会がほとんどありませんでしたし、レコードにしても大概何枚か組で手を出しづらい。それに何よりも言葉の壁。NHKのFMでやっていた<オペラ・アワー>は聴いてはみますが、本当に耳に入れるという程度で、演奏の内容はおろかどんな場面かも分からない。まあ、実際に歌手たちが舞台で歌い、演技する様子も目にしない限りは、中学生や高校生には難しかったのだろうとは思います。一応、高校生時分にヴェルディの<椿姫>の中古LPは入手しましたが、例の「乾杯の歌」の部分ぐらいしか聴いていませんでしたね。
 それに、当時の僕はオペラで語られるお話しが気に入らなかったのです。まあ、リアリティを感じなかったというか、大げさに思えて仕方なかったというか。音楽的な要素よりも脚本とかの方がしっくり来ていなかったとも言えます。
 で、ずっと敬遠していたオペラですが、大学生になってとっつく糸口をようやく見つけました。やはり吉田秀和さんの本がきっかけでした。<私の好きな曲>という本があり、ひとつの曲についてかなりの字数を使って論じていたのですが、そこで出会ったのがチェコの作曲家、レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)のオペラ<利口な女狐の物語>です。
 吉田さんの素晴らしい文章を読んでしまえば、もうそれで十分この作品の魅力は伝わると思うのですが、せっかくなので少し引用しておきます。
 「この作品を、私が数あるオペラのなかでも格別に好きな理由は、まず今いった詩趣のためだが、その詩は、「自然」から生まれる。オペラの中で、こんなにも自然が豊かに、そうしてこしらえもでない新鮮さと自由さとで、生きているものを、私はほかに知らない。」
 もう一か所引用。
 「『黒い、乾いた峡谷。ちょうど第一幕の時と同じように、太陽が、霧雨のあと輝く』とト書きのあるこのオペラ最後のシーンを開始する導入音楽。ここでの金管たちの短く出没する楽段のかもしだす清らかな暖かさ。こんな音楽は、ほかにはどこにもない。
 この清らかさを純粋と呼ぶなら、このオペラは、純粋な音楽で始まり、そうしてそれで終わっているのである。このすばらしいオペラでは、筋をこまかく追いながらきく必要なんか、ほとんどないのだ。音楽をきいてさえいれば、「自然」をよりこまかく呼吸することを、夏の夜を、春の日ざしを、秋の夕ぐれを、より充分に生きることに自ずと導かれることになる。
 これは、そういう作品なのである。」

 僕にはこんな素晴らしい文章でこのオペラをご紹介できませんが、せめてものということで引用させていただきました。
 ああ、あらすじを書いていませんでしたが、ひとことで言えば、1匹の女狐を主人公にして彼女の周りに居る動物たち(そこには人間たちも含まれるのですが)、そして彼らを取り巻く自然を描いた、という感じでしょうか。自然への賛歌のような要素は色濃いにしても、手放しなのではなくてありのままを描こうとしているようにも思います。
 そして吉田さんが書いているとおりの素晴らしい音楽。美しくドラマティックでありながら決して押しつけがましくならない全体の最終場面の音楽が聴こえてくると、僕は毎回胸がいっぱいになるのです。僕は何年か前に幸いにも東京でチェコの歌劇場の引っ越し公演で<女狐>の実演を観たのですが、その時は正直泣きました。
 さて、そんな<女狐>の録音。吉田さんはボフミル・グレゴル指揮によるプラハ国立歌劇場(Supraphon)のものを挙げていました。僕もそれは実際とても良かったと思っていますが、愛聴盤という意味ではヤナーチェクのエキスパートだったチャールズ・マッケラスの指揮によるウィーン・フィル、ルチア・ポップ(ソプラノ)他の演奏(Decca)ということになりますかね。因みにマッケラスがパリで振った舞台上演のDVDもあったはずですが、今は入手しづらいかもしれません。
 それから対訳ですが、インターネット上にはちゃんと<女狐>も載っているようですので、輸入盤を買っても大丈夫ですよ。
f0306605_22301112.jpg(マッケラス盤)
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by ohayashi71 | 2014-05-20 22:32 | 本編

第16回:ドビュッシー/交響詩<海>

 まあ僕の感性の問題だったのですが、子供の頃はクロード・ドビュッシー(1862~1918)の音楽というのはよく分からなかった。楽しめなかった、という方が正確なところですね。<月の光>とか<牧神の午後への前奏曲>とかは中学生や高校生ぐらいの時分に聴いて知ってはいたのですが、もうひとつピンと来ないのです。
 後になって振り返ってみると、その違和感は彼の音楽に掴みどころを見出せなかった、というところに行き着くように思います。当時の僕はブルックナーやマーラーそしてベートーヴェン辺りをメインに聴いていました。ドイツ系という括り方も出来るのでしょうが、それよりも形式と展開、発展というスタイルの分かりやすさや、それから生まれるドラマに面白みを感じていた、ということでしょう。
 そう思うとドビュッシーの音楽にそういうドラマを求めるのは違うかなと。そのことに気づき始めたのは大学生になってからでしたかね。もちろん、ドビュッシーの音楽にもドラマはあると思います。ただ、それはもっと感覚的なものですし、そこには精妙な響きや、しなやかで自在なリズムを含むメロディが溢れています。そうした瞬間の美の発生自体がドラマですし、また美の生まれようや連なりようもドラマだろうと思うのです。
 僕がドビュッシーの音楽をそう考えるようになったきっかけの作品が<海>でした。精妙さやしなやかさは前述したとおりですし、この曲の場合そこにオーケストラだからこそ可能な色彩感やダイナミックな表現もふんだんに盛り込まれているのです。
 といった辺りから僕の愛聴盤を挙げようとすると、まず思い出すのはジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団の演奏(Sony)です。響きのまとまり具合(純度とか透明度という表現でも良いのかも知れませんが)も素晴らしいとは思うのですが、それ以上にセルの全曲各所でのテンポ設定や変化させていく感じが僕にはフィットするのです。その意味では特に第2楽章<波の戯れ>の後半で見せる緊張感の高い追い込み(テンポアップ)はとても素晴らしいと思っています。とにかく、どんなに響きが磨き上げられ美しかったとしても、テンポの設定次第でとても物足りない感じの演奏になってしまう危険のある作品だと思いますが、ここでのセルはドンピシャですね。
 と絶賛はしたいのですが、残念ながら現在入手しづらいようです。これだけの名演なのですが。
 それである程度同様の要素を持つ演奏としてピエール・ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏(Sony)も挙げておきます。セルほどには攻めていないかも知れませんが、やはり響きの作り方は素晴らしいと思います。
 こうした演奏がある一方で、もっとダイナミックで振れ幅の大きな表現もこの曲ではちゃんと成立します。シャルル・ミュンシュのライヴを含めたいくつかの録音はそうした方向の可能性を分かりやすく伝えてくれるものでしょう。ボストン交響楽団との演奏(RCA/BMG)が一般的には入手しやすいとは思いますが、可能であればフランス国立管弦楽団との演奏(1966年:Concert Hall)同じオケとのライヴ(1962年:Disque Montaigne/Auvidis Valois)とかの方がより興味深いだろうと思います。
f0306605_1553192.jpg 
(ブーレーズ盤)
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by ohayashi71 | 2014-05-02 01:54 | 本編


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