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はしやすめ その2:アート・ブレイキー

 僕がジャズをちゃんと聴こうと思うようになったきっかけはデイヴ・ブルーベック(1920~2012)でした。彼の1959年のアルバム<Time Out>の収録曲<Take Five>と<Blue Rondo a la Turk>にゾッコンになったのでした。それはリズムに対する興味であり、変拍子に対する興味からで、その元を辿っていくと、僕がベラ・バルトーク(1881~1945)の音楽が好きだったからです。
 もちろん、美しいメロディや寛いだ雰囲気をジャズに求めるのもアリだとは思っていますが、僕はどちらかというとジャズには疾走感や衝動的なもの、粋な様子やカッコ良さを期待していることの方が多いようです。その意味でマイルス・デイヴィス(1926~91)の音楽は僕にとって最強です。とは言え、マイルスのような音楽だけがジャズではない、というのは当然のことで、他にも好きなプレイヤーは居ます。
 その一人がドラマーのアート・ブレイキー(1919~90)です。ジャズ・メッセンジャーズというグループを1940年代から長年に亘り率いて数々の名盤を世に送り出しましたし、またサイドメンとして他のプレイヤーのアルバムにもしばしば名を連ねています。単に活動歴が長いというだけでなく、実際に録音から半世紀近く経った今聴いても全く古めかしさを感じさせない素晴らしい演奏が多いので、いくつかに絞るのはなかなか難しいのですが、まあいつものように僕の愛聴盤ということで。
 多分アート・ブレイキーのアルバムでいちばん有名なのは<Moanin>(1958)(Blue Note/ワーナー)なのでしょうが、正直なところ僕はそれはそんなに聴いていませんね、嫌いじゃないですけど。それよりも断然聴いているのは<Mosaic>(1961)(Blue Note/ワーナー)<Indestructible>(1964)(Blue Note/ワーナー)ですね。ブレイキー以外の共通のメンバーはシダー・ウォルトン(ピアノ)、ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、カーティス・フラー(トロンボーン)で、更には前者にはフレディ・ハバード(トランペット)とジミー・メリット(ベース)、後者にはリー・モーガン(トランペット)とレジー・ワークマン(ベース)が参加しています。いずれ劣らぬ名プレイヤーぞろい。その中で僕はリー・モーガンが大好きで、と始めてしまうと話がよそに行きそうなので今日はその程度に。
 <Mosaic>にしても<Indestructible>にしても、収録曲は確か全てメンバーの作曲によるもので、ブレイキー名義の曲は無かったはずです。しかし、旋律楽器でもないドラムの存在感は凄いですよ。ドラムはもちろんリズム楽器の一つとして、リズムやテンポをキープする役割があって、当然それはきっちりなのですが、その役割を果たしながら放り込んでくるドラムの音色と響きの多彩さ、そしてフロント陣を鼓舞し、煽り立てるような叩きっぷりは聴いていて興奮させられます。当時のドラムセットは現在のそれと比べると簡単な作りだったと思いますが、しかしその限られたセット内容でいかに変化に富んだリズムを打ち出していたことか。そういうことが手っ取り早く分かるのは<Mosaic>で言えば1曲目のタイトル曲でしょう。
 今挙げた2枚はジャズとしてはオーソドックスなスタイルのものですが、そうでないかたちの愛聴盤を。それはほぼ打楽器アンサンブルとも言える編成で録った<The African Beat>(1962)(Blue Note/ワーナー)です。ブレイキーはアフリカの民族音楽にも関心を持っており、それをジャズのイディオムの中で発展させるような表現への欲求を持っていたようです。そのためラテン系の楽器も組み合わせながら、その手のアルバムをBlue Noteに全部で4枚分遺しています。近年のように「ワールドミュージック」という概念が薄い頃の話なので、まあ売れ線ではなかったようですが、却って今聴くととても面白い作品だと思います。<The African Beat>はその最終作に当たりますが、その中で僕がいちばん好きなのは第3曲の<Love, The Mystery of>です。このアルバムの中で最も民族的な色合いが濃い、つまり普通のジャズ的なムードからいちばん遠い曲です。そして周りの打楽器陣と呪術的な謡い、更に何故か加わっているオーボエなどに逆に煽られてのブレイキーの壮絶な叩きっぷりは最高です。この1曲だけでも本当に聴く価値アリだと僕は思っています。
(左から<Mosaic><Indestructible><The Africa Beat>)
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by ohayashi71 | 2014-06-27 01:58 | はしやすめ

第20回:フランク/<3つのコラール>より第2番 ロ短調

 僕にとって最初の職場になった施設にはパイプオルガンがありました。それはコンサートホールの中に鎮座する、というものではなく、施設全体のエントランス(入口)の空間に設置されていました。しかも、可動式の仕切り壁を何か所か持ってくることで、ほぼホールのような状態にすることが出来るという、よく出来た作りにもなっていました。本格的なリサイタルの場合は、更に僕たちスタッフが300脚ほどの椅子並べをしていました。
 ただ、その施設では本格的なオルガンのリサイタルは、当時は年に1回ぐらいだったと思います。じゃあ、その日以外にオルガンの音を聴くことは出来ないのか、というとそんなことはありません。毎月の全ての土日ではないにしても、その半分前後の日数で<プロムナード・コンサート>という、オルガン演奏に触れてもらえる機会を設けていました。1回あたりの時間は大体20~30分、それを1日のうちに2回行う、というかたちです。エントランスの空間で、座って聴いたり、立って聴いたり、皆さん思い思いのスタイルで楽しまれていましたし、しかもその間でも来館の人の行き来が自由に出来る、というその大らかな雰囲気が僕は好きでした。
 普段の<プロムナード・コンサート>は、ほぼ東京芸大のオルガン専攻の学生さんが演奏し、やはり自身もオルガン奏者でもあるスタッフのMさんが担当として付いていました。しかし、その担当、というのが実は大変な仕事で、本番の時の譜めくりだけではなく、演奏助手(アシスタント)としての役割もこなさなければならないのです。
 オルガンの鍵盤部分を間近で見たことのある方はご存知だと思いますが、鍵盤の他にたくさんのボタンのようなものがその付近にあります。それらはひっくるめて言えば「ストップ」と呼ばれ、それらの組み合わせにより音色を変えることが出来ます。オルガン曲の楽譜を見ると、ストップ操作についての指定が予め記されていることもありますが、演奏者に委ねられていることの方が多いと思います。
 オルガニストが大変なのは、手鍵盤だけでなく足鍵盤まであるための全身運動ばかりでなく、演奏しながらのストップ操作も必要ですし、曲の何処でそれを行うのかも決めておかなければならないということです。しかもオルガンという楽器は基本的に同じものは一つとしてない、つまりいちいち別物なのです。それはオルガンの設置される場所や用途等の条件によって機能も違うことを意味します。Aというホールのオルガンで出来たことが、Bのオルガンでは出来ない、ということも珍しくはありません。
 僕が居た施設のオルガンには、予め決めておいたストップの組み合わせをいくつかのパターンで記憶し、順送り出来るような電気的な装置が付いてはいました。演奏者自身でそれを操作出来なくはないのですが、曲によっては横に居る助手がそれを手伝わなければいけない、ということもありました。で、僕も何度か<プロムナード・コンサート>で助手を務めたことがあり、譜めくりプラスストップ操作の補助なんかもやったことがあります。自分自身の演奏でない分だけ、却ってドキドキしながら務めていたように思います。とは言え、オルガンの生の音色や演奏の様子に直接的に親しむことが出来たという意味では、とても良い経験でした。
 さて、その<プロムナード・コンサート>でよく弾かれていたのはやっぱりヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)の作品だったはずです。まあ、作品数も多いし実際名曲も多いので。もちろん、オルガンのための作品はバロック以前から現代に至るまでずっと書き続けられていますが、僕が一時期とても興味を持っていたのはフランスの近代、具体的には19世紀後半から20世紀にかけて活躍していたオルガニストとしても活躍した作曲家たちの作品です。例えばシャルル=マリー・ヴィドール(1844~1937)やルイ・ヴィエルヌ(1870~1937)といった人々。音楽史の大きな流れで言えばロマン派から近代にかけての時代であり、リヒャルト・ヴァーグナー(1813~83)やクロード・ドビュッシー(1862~1918)等に代表される、和声の拡大をはじめとした音楽的表現の拡大が多くの作曲家に影響を与えた時代です。そういったものがオルガンがもともと備えていた表現力、多彩さや巨大さと結び付くことで、バッハの時代とはまた違った魅力を放っているのです。
 ヴィドールやヴィエルヌの流れを受け継いだのは20世紀後半を代表する作曲家だったオリヴィエ・メシアン(1908~92)ですが、逆に彼らの流れの源になったのがセザール・フランク(1822~90)です。
 フランクというと、多くの人にとってはまずは<ヴァイオリン・ソナタ イ長調>でしょうし、オケ好きからすると<交響曲 ニ短調>でしょう。もちろん、僕はそれらも大好きですが、今日は彼の遺した作品たちの中ではかなりの割合を占めるオルガン作品から1曲挙げたいと思います。それはフランクが世を去る直前に完成させたオルガンのための<3つのコラール>の第2番 ロ短調です。
 フランクの音楽はたとえ終結部が輝かしいものになっていたとしても、そこに至るまでの紆余曲折ぶりが半端ないと思います。メロディや動機の中の一つの音が半音上下することで示される小さな変化が転調を呼び、それが次々と流れの中で起こります。音の動き自体はしなやかですが、一方でなかなか高揚感は持続しません。敢えて吹っ切るのを止めて、そして敢えて葛藤を繰り返す方を選んでいるようにも見えるぐらいです。その極端さが慎重に避けられたドラマに、むしろフランクという人の実直さや正直さが現れているような気もします。<3つのコラール>のどれもがそういった要素を含んでいますが、その中では第2番が僕の性には合うようです。
 第2番 ロ短調は、決して峻厳さはないにしても荘重な気分のテーマを中心とした作品です。そのテーマがパッサカリア風に繰り返され、新たなメロディを加えながら落ち着いた後、一旦劇的な部分が現れます。しかし、それはテーマによるやはり荘重なフーガを導き入れるための動きでしょう。テーマと前に出たメロディが絡み合いながら、次第にひとつの大きな流れが形作られていき、その頂点でテーマが決然と現れますが、そこからまた音楽は次第に勢いを弱めながら最後は静かに閉じられます。構成的な意味での複雑さよりもむしろ自由で幻想性を帯びた作品として聴いた方が受け止めやすいのではないでしょうか。
 CDは、昨年亡くなった名オルガニスト、マリー=クレール・アランが1976年に録音したフランクのオルガン作品集(Erato/ワーナー)をひとまず挙げておきますが、多くの名手が取り上げてきた作品でもありますので、誰からでも良いのでまずはこの音楽空間を感じてみていただければと思います。
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by ohayashi71 | 2014-06-26 23:24 | 本編

第19回:ハチャトゥリアン/ヴァイオリン協奏曲ニ短調

 僕が初めてCDを買ったのは高校1年生の冬休み中だった1987年1月2日です。何で日付まで覚えているかというと、お年玉を握りしめて勇んで初売りに出かけたから。そして行った先は中央町商店街のヱトウ南海堂。
 当時大分の街なかにはヱトウの他にリズムレコード、OBSサービスといったレコード店があり、トキハのレコード売場と合わせて僕は月1ペースで訪れていました。とは言え月々の小遣いで買えるレコードは大体1枚なので、その1枚を選ぶためにそれらのお店をグルグルと回ってようやく選ぶ、ひどい時には4時間かけて1枚なんていうこともありました。お店の人にとっては本当に邪魔くさい子供だったはずですが、僕としてはどのお店にも大変お世話になったと思っています。
 しかし、それまでのLP選びとは違って初CDは出かける前から心に決めていました。それはアラム・ハチャトゥリアン(1903~78)のヴァイオリン協奏曲のディスクでした。その頃、僕はとにかくいろいろな曲を知りたいと思い、NHKのFMでやっていたクラシックの番組を片っ端から聴いていました。そして聴いた曲を書き出して自分の好みだったかどうかを○△×で付けて、○の曲のレコードを入手希望順位の上の方に置く、ということをやっていました。まあ1回聴いて本当にその曲の良さが分かるほど甘くはありませんし、分かったつもりになるのも子供らしいことだったとは思っていますが。
 ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲も多分FMで聴いてかなりのインパクトを受けていたはずです。ハチャトゥリアンと言えばバレエ<ガイーヌ>の「剣の舞」。迫力に満ちた強烈さと鮮やかなオーケストラの響きに、中央アジア的で濃厚なエキゾチックさとが結び付いたこの小品はクラシックを普段そんなに聴かない人でもご存じのはず。また近年では、劇音楽<仮面舞踏会>の「ワルツ」がフィギュアスケートの浅田真央のプログラムで使われたことで一躍有名になりました。
 そんなハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。急-緩-急の3つの楽章からなりますが、出だしから最後までどこを取ってもハチャトゥリアン。「剣の舞」の人。そう書くとひたすら賑やかしいばかりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。彼の音楽は強烈な生命力に溢れていますが、それはリズムと原色的な響きによるところが大きいと思います。一方で忘れてはならないのがその節回し。美しさもありますがそれ以上に濃さ。日本民謡を上手に歌う人がこぶしをきれいに回しまくる時にふと感じるような凄み。ヴァイオリンという旋律楽器で徹底的に民謡を歌いあげ、かつ舞曲を奏でさせたらこうなる、というのがこの協奏曲ということになるのだと思うのです。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲がウィーンで初演された時、エドゥアルド・ハンスリックという大批評家(彼は大のブラームス支持者だったのですが)は、「臭い音楽」という表現を使って酷評しました。ハンスリックにとってはチャイコフスキーの音楽は彼の美学からするとあまりにも土俗的過ぎるという判断だったのでしょうが、もし彼がハチャトゥリアンのこの協奏曲を聴いていたら間違いなく卒倒していたと思いますね。料理には「臭いは美味い」という言い方がありますが、僕にとってのハチャトゥリアンはまさにそれ。
 さて僕の愛聴盤。それこそ1987年の正月に買ったCD。ダヴィッド・オイストラフの独奏と作曲者自身の指揮、そしてモスクワ放送交響楽団による1965年録音のもの(Melodiya/ビクター)。ただし何故か今は廃盤のようで、輸入盤でも入手が難しいかもしれません。オイストラフとハチャトゥリアンの共演の録音は少なくとももう一つあって、それは1954年にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団とやったもの(EMI/ワーナー)。こちらはモノラル録音ですがそれでも十分に楽しめるはずです。オイストラフはこの曲の初演者であり被献呈者だけに、ある意味でハマって当然なのですが、技術的にも歌い回し的にも本当にドンピシャだと思います。
 他にも巧いという意味では本当に巧いイツァーク・パールマンとズビン・メ-タ/イスラエル・フィル(EMI/ワーナー)や、オイストラフと同時期に活躍した旧ソ連の名手、レオニード・コーガンとピエール・モントゥー/ボストン交響楽団のもの(RCA)など。
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(左からオイストラフ65年盤、オイストラフ54年盤、パールマン盤)
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by ohayashi71 | 2014-06-19 22:16 | 本編

第18回:マレ<聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘>

 もう15年ぐらいは前のことですが、別府大学大分キャンパスであった波多野睦美さん(メゾ・ソプラノ)が出演する演奏会の手伝いに行ったことがあります。因みに僕は高校1年生の1年間だけですが、波多野さんから音楽の授業と部活(音楽部)で指導を受けました。ということで、今でも波多野先生と書かないとピンと来ないのですが。まあ、僕は不肖の弟子ということで。
 さて、話を戻してその別府大学での演奏会は、今考えても豪華な顔ぶれだったと思います。波多野先生の他に曽根麻矢子さん(チェンバロ)ヒロ・クロサキさん(ヴァイオリン)、福沢宏さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、中村忠さん(フラウト・トラヴェルソ)という古楽界のトップ・プレイヤーの皆さんのアンサンブルだったので。
 で、その演奏会で初めて知って、強い印象を受けたのがマラン・マレ(1656~1728)の<聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘>という作品でした。
 マレは、フランスがブルボン王朝の絶頂期にあったルイ14世とルイ15世の時代に活躍した音楽家で、特にヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)のための作品を数多く遺しています。ヴィオールは足で挟んだり、膝の上に置いたりする弦楽器ですが、現在のヴァイオリンやヴィオラ、チェロとは種類が違うものとされています。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)の時代ぐらいまでは普通に使われていましたが、その後廃れていった楽器群でもあります。
 この<聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘>は、ヴァイオリンとヴィオールに通奏低音という組合せで書かれており、その演奏会ではヒロ・クロサキさんと福沢さん、それに通奏低音としてチェンバロの曽根さんで演奏されました。うーん、やっぱり豪華です。
 演奏時間にして7~8分のこの曲は、4分の3拍子をやや速めのテンポでずっと通します。しかも最初から最後までD(レ)―F(ファ)―E(ミ)の3つの音の繫がりを400回ばかり繰り返します。途中イ短調やヘ長調に転調もしますが、基本的にはその繫がりの関係自体は保ったままに、です。そのストイックさは主に通奏低音のパートが担いますが、ヴィオールも同じくらいにストイックになります。しかし、マレはヴィオールのパートにD-F-Eの音型のヴァリエーションを、しかもかなり難易度の高いフレーズを次々と放り込んでいます。単に4分音符が8分音符、16分音符と細かくなるだけでなく、多彩なリズム・パターン、素早い移弦や重音等も盛り込んでいるのです。そして、それらの上にヴァイオリン・パートがかなり自由度の高い、エッジの効いたフレーズをまた積み上げていく、という作りになっています。そうやって繰り広げられる3パート3様のせめぎ合いは、後世の作曲家たちのソナタ形式等が示すドラマ(対照、発展、再帰)とはかなり違うものですが、十二分に魅力的なドラマだと思うのですよ。
 で、CD。ヴィオールを含む作品としてはやはりポピュラーな(演奏会にも向いている)ものなので、探すと意外に数はあると思いますし、しかもかなりの名演奏家たちによる演奏のディスクもいくつかあります。
 僕が最初に入手したのはシギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン)、ヴィーラント・クイケン(ヴィオール)、グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)という古楽界の重鎮中の重鎮たちによるディスク(ハルモニア・ムンディ)でした。今回改めて聴き返してみても立派な演奏だと思います。他にも、今や指揮者としてのイメージ方が強いかも知れないニコラウス・アーノンクールがヴィオールを弾いたもの(ハルモニア・ムンディ)寺神戸亮さん(ヴァイオリン)たちのディスク(デノン/日本コロムビア)ラインハルト・ゲーベルとムジカ・アンティクァ・ケルン(Archiv/ユニヴァーサルクラシック)などもそれぞれに素晴らしい演奏だと思います。
 しかし、最近僕の推しにファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)、ジョルディ・サバール(ヴィオール)、それにピエール・アンタイ(チェンバロ)ロルフ・リズレヴァン(テオルボ)という組合わせの演奏(Astree)が加わってきました。上述した「せめぎ合いっぷり」が鮮やかな演奏です。
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(寺神戸盤とサバール盤)
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by ohayashi71 | 2014-06-01 02:18 | 本編


いつもコンサートの解説をお願いしている若林さんに、毎月オススメのCDを伺います!


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