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第12回:メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20

 僕が初めてフェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809~47)の曲に触れたのは、多分多くの人もそうだろうと思うのですが、かの<ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64>でした。いわゆる「メンコン」ですね。子供の頃、僕が未だクラシックを好きになる前の時期ですが、何故か親がチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とのカップリングのLPを持っていたのです。それは今でも名盤だと思っていますが、アイザック・スターンとユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管(Sony)の演奏でした。ついでに言えば、昔らしくジャケットが冊子状になっていて、そこにメンデルスゾーンの協奏曲のスコアがくっついていました。スコアを眺めながら曲を聴く面白さはそのレコードから学んだように思います。
 さて「メンコン」はもちろん大名曲ですが、メンデルスゾーンは神童と呼ばれただけあって少年時代の作品であっても傑作がいくつもあります。大事なのは神童とか天才とか言い表した場合、その作品が単に「大人顔負け」という程度の完成度に留まるものではない、ということです。音楽で言えば形式や和声等が一定のルールの中で適切に扱われていることだけでは大して意味を持たないと思います。その程度は訓練の成果というだけであって、極端に言えば幼児が東海道線の駅を全部覚えているというレヴェル感とそうは変わらないのでは、ということです。
 技術的な熟練は当然のこととして、更にその上にどれだけの音空間や世界観を描き出すのか、あるいはどれだけのエモーショナルなものを盛り込めるか。恐らくそれは長く生きた大人の方が有利でもないし、子供には無理なことでもないのではないかと僕は思います。10代のモーツァルトや30代のベートーヴェンだから書けた曲もあれば、80代のヴェルディでないと書けない曲もあるはずです。
 そこでメンデルスゾーンのことに話を戻します。彼が<弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20>を書いたのは1825年ですから、彼が16歳の年に当たります。今で言えば高校1年生ですか。軽やかさや情熱的な語り口といったものは確かにメンデルスゾーンの音楽には晩年までずっと見られるものでしょうが、この曲にある若々しく清々しいムードは格別です。伸びやかで快活な第1楽章、それと対照的に穏やかさの中に翳りも含む第2楽章、そして恐らく彼の音楽の重要な側面である気品があってすばしこい軽やかさに満たされた第3楽章、技術と情熱とのバランスが絶妙な構成感の中で保たれている第4楽章というように、どの楽章を取っても本当に素晴らしい曲なのですよ、この八重奏曲は。
 多分僕がこの曲についていちばん聴いてきたのはイ・ムジチ合奏団の録音(Philips/ユニヴァーサル)でしょうか。でもこのディスクは今は入手しづらいかもしれません。あと、クリスティアン・テツラフ、イザベル・ファウスト、リサ・バティアシヴィリといったソリストたちのアンサンブルによる演奏(CAvi-music)は切り込みもシャープで、凄みすら感じさせてくれるもので、まあ今どきの演奏というやつでしょうね。第12回:メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20_f0306605_231099.jpg第12回:メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20_f0306605_215036.jpg
# by ohayashi71 | 2014-03-24 02:03 | 本編

第11回:ペルト/スターバト・マーテル

 アルヴォ・ペルト(1935~)はバルト3国のひとつ、エストニア出身の作曲家です。
 僕が彼の音楽に初めて触れたのは1988年だったはずです。ある日NHKのFMを聴いていると、それまで耳にしたことのない響きが聞こえてきました。何人かの歌い手とやはりいくつかの弦楽器だけで演奏されているその曲は、美しく、寡黙で厳しささえ覚えるものでした。静けさに圧倒される、という経験はまだ高校3年生だった僕にしてみると衝撃的なものでした。曲が終わってからの紹介コメントを聞くと、それがペルトの<スターバト・マーテル>という曲で、ギドン・クレーメルたちの演奏だったことを知りました。どうやら、ちょうどその<スターバト・マーテル>を収録した国内盤CDが発売されて間もない頃だったようで、何らか話題になっていたのかもしれません。
 それから多分数ヶ月も経たないうちに、僕は受験旅行で東京方面に行くことになりました。もちろん本題は試験なのですが、白状すると人生二度目の東京行き(一回目は前年の修学旅行)に少々浮かれていたところもありました。試験が終わると僕は秋葉原のレコード店(今はなき石丸電気)に行って何かを買って帰ることにしました。
 そこで選んだのが<スターバト・マーテル>が収録されたペルトの作品集のアルバム<アルボス(ARBOS)>でした。
 <スターバト・マーテル>の他にそれ程長くはない作品が7曲収録されており、金管合奏やオルガン独奏、少人数のアンサンブルによる声楽曲などがあったのですが、そのどれもが大きく言えばある色合いに貫かれているように思えました。それはワンパターンという意味ではなく、上述したような寡黙の美と捉えた方が良いでしょう。
 後から知ったことですが、ペルトの音楽の評価を高めたのは、<アルボス>の前に出された<タブラ・ラサ(Tabula Rasa)>というアルバムが出てからのことで、それら2枚のアルバムを制作したのはECMというレコード・レーベルでした。ECMはジャズ好きな方には有名なレーベルで、特にピアニスト、キース・ジャレットのアルバムを数多く制作していることでも知られていると思います。で、そのプロデューサーはマンフレート・アイヒャーという人物で、彼がECMを始めたのですが、その設立当初のモットーとしては「沈黙の次に美しい音」を世に送り出すというものだったそうです。設立から15年間はほぼジャズ(確か民族音楽に近い音楽も紹介していたと思いますが)のレコードを作っていたECMが「NEW Series」として出したものがペルトの<タブラ・ラサ>でした。因みに<タブラ・ラサ>にはキース・ジャレットとクレーメルが共演した<フラトレス>という作品も収録されています。
 そういう流れで眺めると、ペルトの音楽が何故ECMから紹介されたがよく理解できます。「沈黙の次に美しい音」。ペルトの音楽に相応しい言葉だと思います。
 さて、既に日付が変わっていますが、今日は3月11日でした。その意味を込めて、ペルトの<スターバト・マーテル(悲しみの聖母)>をご紹介しました。いくつか録音はあるようですが、やはりクレーメルたちによるECM盤でしょうか。第11回:ペルト/スターバト・マーテル_f0306605_1245166.jpg
# by ohayashi71 | 2014-03-12 01:25 | 本編

はしやすめ その1:アントニオ・カルロス・ジョビン

 10回ばかりクラシックのことをずっと書いたので、この辺でちょっとはしやすめということに。

 <イパネマの娘(Garota de Ipanema)>という曲は皆さんご存知ですね。曲名は知らなくてもメロディは何処かで耳にしたことがあるのでは。で、その曲の作曲者がアントニオ・カルロス・ジョビン(1927~94)です。ジョビンは本当に数多くの名曲を世に送り出しました。
 <デサフィナード(Desafinado)>、<想いあふれて(Chaga de Saudate)>、<ワンノート・サンバ(Samba de Uma Nota So)>、<おいしい水(Agua de Beber)>などなど、まだこれでも代表曲のほんの一部でしょう。ジョビン自身の歌を収録したアルバムもありますが、ジョアン・ジルベルトやナラ・レオン、アストラッド・ジルベルト、あるいはセルジオ・メンデスなどがカヴァーしたヴァージョンでご存知の方も多いでしょう。
 上に挙げた曲はほぼボサノバというジャンルに属する音楽とされているのですが、ここで勘違いしてをいけないのはジョビンはずっとボサノバ的な音楽ばかりを書いた訳ではないということです。
 その意味で、僕が大好きなジョビンのアルバムを今回はご紹介したいと思います。
 ジョビンの音楽はポピュラー歌謡というジャンルの中だけで捉えるべきではなくて、ジャズやクラシックにも繋がる要素があり、それだけの奥行きも備えた大きな存在だと思います。極端なことを言えば、彼の音楽そのものがひとつのジャンルであるとも僕には思えるのです。
 ということで、僕のイチオシは1976年のアルバム<Urubu>(Warner)です。
 本音を言えば1曲目の<O Boto>だけでも僕はOKなぐらい。冒頭にビリンバウというブラジルの民族楽器がビヨヨ~ンと鳴り響くので、一瞬引いてしまうかも知れませんが、その後に来るオーボエの音色でパッと幕が開いて、いい感じのテンポでリズムが刻まれた後にジョビンとミウシャという女性の歌手の歌声が乗っかってきます。2人の歌はユニゾンになったりハモったりするのですが、まあ特にジョビンの声の味わいと言ったら。
 そして、歌を包むバックのオーケストレーションの見事さ。アレンジはクラウス・オガーマンという人によるものですが、彼も素晴らしい仕事をたくさんした音楽家です。因みにジョビンとは<Urubu>の前にも1973年の<Mattita Pere>(Verve)をはじめいくつかのアルバムで組んでいますが、どれも傑作だと思います。
 <Urubu>に話を戻しますが、2曲目<Ligia>、3曲目<Correnteza>、4曲目<Angela>と美しい歌が続きます。後半は歌抜きのインスト曲が4曲ですが、これもジョビンとオガーマンの音楽の方向性がバッチリとハマっていてとても素晴らしいです。
 <Urubu>は全体的にボサノバ的な軽やかさよりも、少し重めな音楽たちではあるかもしれませんが、その潤い溢れる響きとメロディの美しさはこの上ないものだと僕は思います。はしやすめ その1:アントニオ・カルロス・ジョビン_f0306605_154423.jpg
 
# by ohayashi71 | 2014-03-02 01:56 | はしやすめ

第10回:ニールセン/交響曲第4番<不滅> Op.29

 カール・ニールセン(1865~1931)はデンマークの作曲家で、6曲の交響曲をはじめ、フルート協奏曲、クラリネット協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、木管五重奏曲あたりが代表的作品。
 で、今回は彼が1914年から16年にかけて書いた交響曲第4番<不滅>について。タイトルはニールセン自身によって付けられたものですが、もう少し直訳に近い感じだと「消し難きもの」というニュアンスになるそうです。では何が「不滅」であったり「消し難」かったのか。それは作曲された時期にも注目していただきたいのですが、その頃はちょうど第一次世界大戦が起こっていた時期に当たっています。デンマークは中立国家としての立場を取ったためニールセン自身が直接的に戦争に関わることはありませんでしたが、世界規模での不安や危機的状況は彼に大きな影響を与えたものと思われます。
 結果的に、残念ながらその後も世界規模での戦争や国際的に高い緊張をもたらした出来事は頻発していますが、ニールセンやその時代の人たちにとっては、彼らが経験しつつあった戦争こそ史上最大(もちろん最悪でもあるのですが)の危機的状況なものと受け止めていたのではないでしょうか。数知れない程の犠牲者と終わりの見えない破壊に対する恐怖と絶望は計り知れないものだったはずです。
 その状況で何をするか。作曲家であるニールセンは音楽を書きました。それが交響曲<不滅>です。実際のところ、ニールセンはタイトル以外、曲中には標題的なことは何も記していません。ですから作品そのものが語っていること、鳴り響く音楽そのものが全てです。もし僕がタイトルと音楽から何かを汲み取ろうとするのであれば、それは例えば人間性への信頼であり、不断の生命力の存在への信頼というようなことではないかと思うのです。まあ、これは皆さんにも是非聴いていただいた上で、何かを感じたり、考えていただければそれで良いと思います。
 編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3とチューバ、弦楽5部、それにティンパニが2組。ブルックナーやマーラーの交響曲程ではないにしても、それなりに大きな編成と言えるでしょう。特に通常は1組であることが多いティンパニが<不滅>では2組というのが非常に特徴的でもあります。最後の部分で2組がソリスト的に掛け合いを行うように書かれているのですが、それは劇的で激しいことから「ティンパニ・バトル」と呼ばれることもあります。また、それ以外の木管、金管、弦楽の各パート全てに聴かせどころがある曲ですので、オーケストラの響きも存分に体験できる作品とも言えるでしょう。
 全曲は35分程で切れ目なしに続きますが、大きく4つの部分に分けられます。第1と第4の部分は劇的かつ運動的な音楽で、間の部分には穏やかで素朴さのある音楽と、厳しく崇高さを求めるような音楽が挟まれています。第1の部分の最初に、跳ねるようで躍動的なフレーズと伸びやかに奏されるフレーズの2つが現れますが、これらが全曲のモットーとも言うべきものです。これらが第4の部分で再帰して来るのですが、それこそまさしく圧倒的なインパクトがあります。
 例によって個人的な話をすると、僕は大学生の時にこの曲を演奏しました。実力に見合わない挑戦でしたが、曲への強い共感と指揮をお願いした故・小松一彦さんの素晴らしい指導で、実力以上の演奏になったと思っています。まあ、演奏することが決まるまで、僕は作品はもちろんニールセンのことすら知らなかったのですが。
 さて、僕にとっては当然のことながら、僕は程なく<不滅>もニールセンもすっかりお気に入りになったので、演奏会本番までの半年ちょっとだけでなく、演奏会後も<不滅>のディスクをひたすら探し求めたものです。ついでに言えば、この時に合わせて知ったニールセンの交響曲第5番Op.50も超が付くぐらいの名曲だと思っていますし、今となっては<不滅>以上に聴いている作品です。今回はこれ以上突っ込みませんけれど。
 で、<不滅>のディスクについて。カラヤン/ベルリンpo(DG/ユニヴァーサル)やバーンスタイン/ニューヨークpo(Sony)なんかもありますが、まずはヘルベルト・ブロムシュテット/サンフランシスコso(Decca/ユニヴァーサル)とかサイモン・ラトル/バーミンガム市so(EMI/ワーナー)あたりを聴くことが多いでしょうか。他にもエサ・ペッカ・サロネン/スウェーデン放送so(Sony)ジャン・マルティノン/シカゴso(RCA)アンドリュー・デイヴィス/BBCso(Virgin)も好んで聴いています。ああ、あと別格なのは「青春の思い出」という意味で自分たちの演奏音源を起こしたCDですかね(笑)。
第10回:ニールセン/交響曲第4番<不滅> Op.29_f0306605_204599.jpg(左:ブロムシュテット盤、右:ラトル盤)第10回:ニールセン/交響曲第4番<不滅> Op.29_f0306605_21304.jpg※両方ともジャケット違いやカップリング曲違いのものも出ていますので、これはご参考程度で。
# by ohayashi71 | 2014-02-14 02:05 | 本編

第9回:ショスタコーヴィチ/24の前奏曲とフーガ Op.87

 僕がショスタコーヴィチを最初に知ったのはFMで耳にしたエフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの交響曲第5番ニ短調Op.47だったと思います。それはエアチェックして、つまりラジカセで録音して、何度も繰り返し聴いたものでした。1980年代の後半にさしかかろうという時期でしたから、ソ連という国が無くなる少し前のことです。
 レコードの帯には「革命」なんていう仰々しい呼び名が付けられていた第5交響曲は、今でもショスタコーヴィチの作品でいちばん有名なのかもしれません。でも僕はエアチェックのカセットテープを持っていたから、レコードとして最初に買ったのは第5交響曲ではなくて何故か交響曲第15番イ長調Op.141でした。これの話はまたいずれしたいと思いますが、今日はその辺で。
 で、それから数年後、大学生になった僕は夏休みにたまたま出かけた小倉のレコード市の棚で興味深いものを見つけました。ものはショスタコーヴィチの<24の前奏曲とフーガOp.87>というピアノ曲集のレコードで、確か3枚組じゃなかったかと思います。中高生の時に愛読書の一つが<クラシック・レコード総目録>だった僕ですが(笑)、やっぱり情報量がそれでも少なかったのですね、そういう作品があることは知りませんでした。中古とは言え極端には安くはなかったと思いますが、結局、僕はそれを買って大分に帰りました。
 大学(僕は関西の某大に行ったのですが)に上がってからは、サークルのオケ仲間たちとショスタコーヴィチの交響曲をレコードや実演で聴いては盛り上がることがしばしばでした。僕たちの学年はブラス出身者が多かったせいでしょうが、やはりオーケストラが壮絶に絶叫するような音楽にある種のカッコよさを覚えていたからだと思います。だから仲間内でショスタコーヴィチというと専ら交響曲の話ばかりでした。
 ただ、僕は高2か高3の夏休みにやはりエアチェックしたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲15曲(演奏はボロディン弦楽四重奏団)を聴いていたので、彼のイメージは一部の有名な交響曲からだけで括れるものではなさそうであることは、何となく感じてはいました。
 その何となくを、僕の中ではっきりとさせたのが<24の前奏曲とフーガ>でした。それはショスタコーヴィチが1950年から翌年にかけて手がけたもので、バッハの<平均律クラヴィーア曲集>に改めて感銘を受けて書かれた作品だそうです。前奏曲とフーガのそれぞれが独白であり、内省であり、孤独な詩であり、美しさや軽やかさ、強さなどさまざまな表現がなされています。別人とまでは言いませんが、交響曲で見せる彼の姿とはだいぶ違うと言っても良いでしょう。
 24曲全てが素晴らしいと思いますが、いくつか挙げるとすれば、僕はまず第4番ホ短調ですね。重く静かな前奏曲に続いて、つぶやきのように最初のフーガ主題がアダージョで現れます。フーガなのでその主題が5度上とか8度下とかで次第に積み重ねられて行くのですが、途中から一旦別のフーガ主題が出てきてそれがしばらくフーガを続けます。その別の主題の音楽的な内圧が高まっていったところで最初の主題が再び現れ、そこから二重フーガという形を採ります。声部が重なり合うことで荘重さと運動性のバランスが高い次元で保たれたまま曲は終わります。演奏時間にすると前奏曲と合わせて8分程度ですが、体感的な時間はもっと長いかもしれません。
 最後の第24番ニ短調も第4番に似た作りですが、実際の規模は更に大きく、まさに締め括りにふさわしいものです。重さ、という意味ではこの2曲よりも重いものや、それを超えて深淵を垣間見る感じで怖いようなものもありますし、逆に第2番イ短調のように軽さときびきびとした動きが楽しいものもあります。第12番嬰ト短調はアレグロで5拍子のフーガですし、第15番変ニ長調なんかはフーガ主題に3拍子、4拍子、5拍子が混在していて諧謔性が強かったりもします。
 なので一気に24曲聴く必要も無いですし、番号順に聴く必要も無いと思います。それだけの広がりのある曲集ですから。
 で、僕が愛聴しているのは、その初めて買ったレコードの弾き手でもあったタチアナ・ニコラーエワのものです。もともとショスタコーヴィチは彼女のバッハ演奏に感銘を受けてこの曲集を手がけたそうです。更に初演も彼女に頼んでいますし、彼女も終生この曲集を愛奏しました。彼女の最後の演奏会もこの曲集だったそうです。ニコラーエワは少なくとも3回全曲録音しているはずですが、僕が聴いているのはいちばん最初のもので1962年の録音です(Venezia)。後の1987年(Regis)、1990年(Hyperion)も名演と言われています。
 他の演奏を挙げておくとすれば、コンスタンティン・シチェルバコフ(Naxos)や、かなり上記のような作品の印象からは外れるかもしれませんがそれはそれでアリなキース・ジャレット(ECM/ユニヴァーサル)とか。あと、全曲ではありませんが、スヴャトスラフ・リヒテル(Supraphon/コロムビア)とショスタコーヴィチ自身の演奏(VeneziaとEMIの2種/どちらも入手困難か)も大事な録音です。
第9回:ショスタコーヴィチ/24の前奏曲とフーガ Op.87_f0306605_3182382.jpg

ニコラーエワ盤(1962年録音)
# by ohayashi71 | 2014-02-01 03:22 | 本編


いつもコンサートの解説をお願いしている若林さんに、毎月オススメのCDを伺います!


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