人気ブログランキング | 話題のタグを見る

第26回:ライヒ/ディファレント・トレインズ

 何がきっかけだったかは忘れましたが、僕が初めてスティーヴ・ライヒ(1936~)のCDを買ったのは大学の1回生か2回生だったはずです。ものは<六重奏曲>と<6台のマリンバ>が収録された1枚。「現代音楽」の中でミニマル・ミュージックと呼ばれるスタイルの代表的作曲家とされるライヒですが、多分、CDを買った時にはミニマルの意味すらよく知らないまま手を出したような。
 でも気に入ったのですね。それ程複雑そうではないフレーズをひたすら繰り返しながら少しずつ変化を付ける、あるいは新たなパターンを乗せていくことを基本として曲を作り上げていくミニマル・ミュージックは、僕がそれまで聴いていたようなクラシック作品とは全く違う発想から生まれてきたものだ、ということは直ぐに分かりましたし、またそれがとても新鮮な(場合によっては、その単調さから来る感覚も含めての)響きであり音楽に思えたのです。素材の展開技術や、和声の法則性を伴う形式感に基づいた構成から生まれるドラマに比べると、もっと硬質でストイックなドラマと言った方が良いのかも知れません。まあ、とにかくこの感じは聴いていただくしかない、と思うのです。
 少し余談を。その昔、大分で働いていた時に「現代音楽」を専門にするアメリカの弦楽四重奏団、クロノス・クァルテットを招聘するチャンスがありました。今の大分ではそういうチャレンジ企画を行う空気は薄くなっているようにも見えますが、とにかく10数年前の大分には短期間ながらそれを出来る環境があったのです。で、僕がこの時、クロノスを呼びたいと思った理由のひとつは、プログラムにライヒの新作、<トリプル・カルテット>が含まれていたからで、そのライヴが日本初演に当たるからでした。当時、このクロノスのライヴ自体、残念ながら大分的にはあんまり話題にはなりませんでしたが、その新作を聴くためにわざわざ他県からもお客さんが来ていたのを覚えています。
 さてクロノスのライヴをやれるとなった時に、新作の<トリプル・カルテット>はともかくとして僕が本当は演奏して欲しかった曲があります。それはライヒの<ディファレント・トレインズ>という曲でした。<トリプル・カルテット>と同様、クロノスのために書かれ、1989年にグラミー賞を受賞した曲で、やはりクロノスがCDを作っていました。
 <ディファレント・トレインズ>は、弦楽四重奏と予め録音されたテープのための作品です。テープには更に2群の弦楽四重奏と、何人かの人の声、列車が線路を走る音、汽笛、それとサイレンの音が含まれています。しかも実演では生音とテープがちゃんと同期しないといけない作りになっています。これはまさに「現代の」弦楽四重奏曲の在り様のひとつです。
 そしてこの設定でライヒが描いたのは、さまざまな汽車(ディファレント・トレインズ)の走るさまを全体の基調としながら、「第二次世界大戦前のアメリカ」「第二次世界大戦中のヨーロッパ」「大戦後」でした。
 列車が線路を走っているかのような音のパターンが延々と続く中、やがて人の声が聞こえてきます。ただしそれらは文章としてでは無くて、単語やフレーズのレヴェルの短さで切られ、かつ繰り返されます。そして話し手が変わる、あるいは単語やフレーズが変わると音楽の方のパターンも変わります。むしろ音楽の変化に声を合わせているのかも知れませんが。更に、そういう人の声を音の高低に当てはめ、弦楽器でもその音型を模します。ちょっと説明としては下手で分かりづらいとは思いますが、まあ大きな作りとしてはこういう感じです。
 「大戦前のアメリカ」では「シカゴからニューヨークへ」とか「ニュヨークからロスアンジェルス」「1939年」「1940年」「1941年」といった言葉が聞こえてきます。年が下っていくに従って音楽のテンポが上がり、緊張感も次第に増していきます。それに続いて第2部にあたる「大戦中のヨーロッパ」に入りますが、そこでは始終サイレンの音が響き渡っています。そして聞こえてくる言葉は「ドイツ軍がオランダに」とか「ハンガリーに侵入してきた」、「黒いカラスが長年我が国を侵してきた、と彼は言った」、「早く行けと彼女は言った」、「4日4晩」「それから私たちは奇妙な名前の場所を通っていた」、「彼らは人々を分けた」、「炎が空に上がって行った」といったもの。これはヨーロッパで起こったホロコーストについての証言から取られたものです。
 静かに第2部が閉じられると第3部「大戦後」が始まります。「戦争が終わった」、「それは本当?」という声に続いて、再び第1部の「ニュヨークからロスアンジェルス」をはじめとしたいくつかの声が聞こえてきます。しかし、それは単に第1部の再帰や再現ではありません。「でも今となっては全部昔のことさ」という声、そして最後に「声のきれいな一人の女の子が居た」「彼らはその歌声を聴くのが好きだった」、「彼女が歌うの止めると彼らは言った、『もっともっと』。そして彼らは拍手した」という声に合わせた音楽で全曲は閉じられます。
 直接的に、あるいは描写的に戦争の惨禍を表現したというより、それによって失われたもっと大きなものの存在を、ライヒは列車の音(音楽)と断片的な声によって浮かび上がらせたのだと思います。全曲の最終部分の閉じ方に美しい詩情があるからこそ、却って痛々しさを覚えるのです。
 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲や弦楽四重奏曲のような音楽による直接的な「時代の証言」も僕たちは永久に大切にしなければなりませんが、その上でライヒの<ディファレント・トレインズ>のような「記憶を伝えるための表現」も重要だろうと僕は信じています。
 演奏や録音は決して簡単ではない作品なのでしょうが、「現代曲」としては比較的録音に恵まれており、いくつかのCDが出ています。その中ではやはり初演者クロノス・クァルテット(Nonesuch)を最初に挙げるべきでしょうし、この曲についてもディオティマ弦楽四重奏団(naive)は優れた演奏だと思います。
第26回:ライヒ/ディファレント・トレインズ_f0306605_0331671.jpg第26回:ライヒ/ディファレント・トレインズ_f0306605_0325862.jpg(左:クロノス盤、右:ディオティマ盤)
# by ohayashi71 | 2014-08-16 00:35 | 本編

第25回:シューベルト/弦楽五重奏曲ハ長調D.956 Op.163

フランツ・シューベルト(1797~1828)の音楽が本当に「いいなあ」と思えるようになったのは、僕は20歳前ぐらいじゃなかったかと思います。スヴャトスラフ・リヒテルの弾いたピアノ・ソナタ第13番イ長調 D.664と第14番イ短調 D.784が1枚に収められたCD(ビクター)がきっかけでした。それは1979年にリヒテルが来日した際の演奏会のライヴ録音だったそうですが、それは繊細で、かつ深みのある美しさ(恐ろしいほどの)に溢れており、それまでシューベルトの音楽にピンと来ていなかった僕の目(耳)を覚ましてくれたディスクでした。そんな素晴らしい(凄い)演奏なのですが、現在何故かこの音源は国内盤としては取り扱われておらず、Musical Conceptsという海外のレーベルで出ているようです。
 シューベルトの音楽の素晴らしさ、というと、まずはその親しみやすい旋律の数々が真っ先に思い起こされるでしょう。もちろんその美しさは大変な魅力です。しかし、歌曲にしてもただ美しい旋律を連ねただけではシューベルトにはならないと思います。音楽と詩が一体となることで生まれる迫真のドラマ、心の深層の抉り出し、ロマンティックな情景への想起、そういったものものまで多くの場面で到達しているのがシューベルトの音楽なのではないでしょうか。旋律美は当然挙げなければなりませんが、更に巧みであったり予想外な転調とか、極端なまでの音楽の表情の変化(さっきまで穏やかに微笑んでいたのに、次の瞬間何か恐ろしいものに直面したかのような表情になるとか)もそこにはあります。
 「未完成」と呼ばれる彼の交響曲ロ短調 D.759(以前は第8番という表記が一般的でしたが、最近は第7番とされることも多いようです)なんか、そう思って聴けば相当に「怖い」曲ですよ。美しさの裏側、というよりその直ぐ横にある大きな暗い影を認めないことには始まらないと僕は思うのです。でも、これがロマン派、ロマン主義と呼ばれる音楽たちの根っこに近いものでもあるのではないでしょうか。
 シューベルトが「未完成」となったその交響曲をとりあえず書いたのは1822年ですから、彼がまだ25歳の年のことです。若さから来るナイーヴな感覚は僕たちのような現代人にも理解できなくはないはずですが、シューベルトのその研ぎ澄まされようはどうでしょう。同じ頃に50歳代に差し掛かりつつあったルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の音楽の凄みとはまた違ったものがあるように見えやしないでしょうか。
 シューベルトのそうしたナイーヴな凄みは1828年に彼が亡くなる年までずっと現れ続けます。というか、それはひたすら右肩上がり的な傾向すらあるようにも思えます。最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番ハ短調D.958/第20番イ長調D.959/第21番変ロ長調D.960)なんかは本当に。
 そして彼が生涯にただ1曲だけ書いた弦楽五重奏曲(ハ長調D.956)もやっぱりそういう音楽です。死を目前にした19世紀の若者が眺めていた世界の美しさとむごさ。第1楽章だけでおよそ20分かかり、全曲だと1時間近くかかる大作で、ほとんど交響曲のようなスケール感も漂います。明朗な表情はどこまでも明朗に、しかしひとたび葛藤や孤独感の領域に足を踏み込むとどこまでもそのまま追い込まれそうなぐらいの感覚。A-B-Aという形式で書かれた第2楽章のBの部分、Aの部分の静寂さを唐突に破るように置かれたこの中間部分の痛切さは一体何と言えば良いのでしょうか。
 またハンガリー風の旋律を第1の主題とするソナタ・ロンド形式の第4楽章は、中間の展開部分で少し緊張感を出しますが、本当の高揚はコーダにやってきます。ハ長調の和音をそのまま力強く打ち込んで終わるかと思いきや、最後の小節で主音のドを全員で弾き出す前にそれより半音高いレの♭が前打音として付けられています。この強烈なアクセントが聴き手にもたらす熱は何か。
 シューベルトの器楽作品は一歩間違えたアプローチをするととんでもなく退屈な音楽になってしまうのですが、この弦楽五重奏曲について言えば僕はいくつか愛聴盤と呼べるようなディスクに接しています。ピリオド楽器のアンサンブルであるラルキブデッリ(Sony)や往年の名カルテット、ラサール弦楽四重奏団にチェロのリン・ハレルが加わったもの(DG/ユニバーサル)あたりはそういう存在ですが、最近の演奏で言えばフランスのディオティマ弦楽四重奏団にチェロのアンヌ・ガスティネルが加わったもの(naive)が素晴らしいと思います。
第25回:シューベルト/弦楽五重奏曲ハ長調D.956 Op.163_f0306605_074518.jpg第25回:シューベルト/弦楽五重奏曲ハ長調D.956 Op.163_f0306605_08612.jpg(左:ディオティマ弦楽四重奏団による弦楽五重奏曲、右:リヒテルのソナタ集の現行盤)
# by ohayashi71 | 2014-08-02 00:09 | 本編

第24回:早坂文雄/映画<羅生門>の音楽

 黒澤明(1910~98)と言えば日本を代表する映画監督ですが、彼は自分の作品の中での音楽にもかなりこだわりを持っていたそうです。そのため音楽を担当した作曲家とケンカ別れ、ということもありました。<どですかでん>と<乱>を手がけた武満徹(1930~96)がそうですし、<どん底>や<用心棒>、<椿三十郎>、<赤ひげ>といった1950年代から60年代にかけての黒澤映画の音楽を担当した佐藤勝(1928~99)も<影武者>の制作時に考えの違いから降板しています。
 黒澤のこだわり、と最初に書きましたが、彼の音楽についての注文は「この場面には○○風の曲を付けてほしい」という言い方だったようです。因みに○○の部分には作曲家名や楽曲名が具体的に入るのです。この「○○風」というのが面倒なところで、だったらそのまま○○でいいじゃないか、と相手は普通思うはずなのですが、黒澤はあくまでもそのものではなくて「○○風」と言って押してくるとのこと。そりゃあケンカするはずです。
 さて、佐藤勝よりも前の時期、即ち1940年代から50年代にかけて黒澤映画の音楽を何作も手がけた作曲家が居ます。それが早坂文雄(1914~55)です。早坂は<ゴジラ>で有名な伊福部昭(1914~2006)と共に活動をしたこともありますが、僕にとっては清瀬保二(1900~81/宇佐市出身)や武満との繫がりの方が重要だったりします。まあその辺りの話は長くなるので今日は省略。
 早坂は若いうちに亡くなっていますが、彼は1930年代から50年代の日本の作曲界をリードしただけでなく、映画音楽の分野でも大きな足跡を遺しました。溝口健二や成瀬巳喜男など往年の巨匠監督とも組んでいますが、やはり黒澤とのコンビが最も重要なのではないでしょうか。二人は1948年の<酔いどれ天使>から55年の<生きものの記録>まで全部で8作で組んでいますが、音楽という点から言えばまずは<七人の侍>と<羅生門>だと思います。
 特に<羅生門>。芥川龍之介の<藪の中>を下敷きとして、1950年に三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬などの出演により制作・公開されたこの作品は、日本国内での評価はいまいちでしたが、翌年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞やアカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)などを受賞するなど、国際的に圧倒的な評価を得て「世界のクロサワ」への第一歩としての作品ともなりました。
 そして早坂の音楽。上にも書いたとおり、黒澤はここでもいろいろな注文を早坂に出したようですが、最も重要な場面である真砂(京マチ子)の証言の場面で、彼は「ボレロ風の音楽を」と言ったようです。このボレロはラヴェルの<ボレロ>のことです。証言しながら煩悶が高まっていく真砂の様子を強調する、あるいは象徴する演出効果の一部としての音楽は「ボレロ風」であるべき、と黒澤は考えたのでしょうか。
 恐らくそういった意向を受けての早坂による「ボレロ風」の音楽。場面の時間にして約10分。ラヴェルが繰り返しの中で描いた熱狂とは異なり、怨みや悲しみや憤りといったドロドロとした表情すら浮き上がってきそうなぐらいの情念のボレロだと思えてきます。普通のオーケストラよりも制約のある楽器編成で書かれているようですが、明るく華麗な響きを求めない曲調的にはそれで十分だったのかも知れません。日本的な、アジア的な湿度の高いボレロ。僕は好きですねえ。
 DVDを観ていると、当時の録音状態の貧しさも手伝って、どうしても京マチ子をはじめとする役者陣の演技の方がより強く印象に残る場面かも知れませんが、ぜひ音楽にも注意を払ってください。もちろん、その場面以外にも冒頭や最後に現われる雅楽風の響きや、真砂の妖しい美しさを表すような音楽など全編を通じて聴きどころも多い映画だと思います。
 ということで<羅生門>の音楽を聴くとすれば映画のDVDをまずは挙げるべきなのでしょうが、この音楽の充実ぶりから管弦楽のための組曲風に扱ったCDも出ています。僕が最初に買ったのは佐藤勝(彼は早坂の弟子でもありました)が指揮したCD(<七人の侍>の音楽との組合せ)でしたが、これは今は廃盤のようです。そして僕の愛聴盤は、原作者・芥川龍之介の三男でもある芥川也寸志の指揮、新交響楽団の演奏による早坂文雄の作品集(フォンテック)。ライブ録音であることやもともとのオケのレヴェル(アマチュアとしてはハイレヴェルなのですが)といった弱点はあるにせよ、情念の高まりを感じさせてくれる演奏だと僕は思っています。更にこのCDには<羅生門>の他にも<管弦楽のための変容>という大傑作も含まれています。また現行盤は山田一雄の指揮で早坂の遺作となった交響組曲<ユーカラ>と組み合わせた2枚組のセットになっているようです。
第24回:早坂文雄/映画<羅生門>の音楽_f0306605_23394116.jpg
# by ohayashi71 | 2014-07-20 23:39 | 本編

第23回:チャイコフスキー/幻想序曲<ロメオとジュリエット>

 最初に白状しておきますと、僕はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~93)の音楽について共感しきれない感情をいくらか抱えています。中学生時分にクラシック音楽を好きになった当初は、例えばピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23であったり交響曲第4番ヘ短調Op.36といった曲はよくレコードを聴いてはいました。しかし、いろいろな作曲家の音楽を聴き進めていくうちに、チャイコフスキーの音楽のある意味「聴かせ上手」な感じが少し鬱陶しくなってきたのですね。
 もちろん捉えどころが無い音楽でもつまらないのですが、チャイコフスキーの場合、どんなに激しい部分でも甘さと美しさが同居した旋律がしっかりと存在していて、また管弦楽であればそれを引き立てる見事なオーケストラ遣いをしており、聴き手の心をがっちり掴む展開で音楽が目の前を流れていきます。ただ、それ故に何か「いやらしさ」を僕は覚えることがあるのです。ありのままに感情の爆発を描いて突き抜けるのではなく、その何歩か手前のセンチメンタルな気分で留まっているのではないか、ということなのです。その意味で、僕がチャイコフスキーに対していちばん酷い見方をしていた20代前半には、彼の音楽はどれも「演歌とバレエ」なんじゃないかと思っていました。
 まあ、それから僕も歳を重ねてみて一周したのかもしれませんが、今は以前よりも素直に彼の音楽を聴けるようになりましたけれど。それに、局所的な旋律美と全体としての構成を両立させるのはやはりある種のハイ・レヴェルな職人技が必要でもあるとは思うのです。
 さて、ここまで書いてきた話の流れの上で、挙げるチャイコフスキーの作品が幻想序曲<ロメオとジュリエット>であるべきかどうかは分かりません(笑)。しかし、上に書いてきたような要素を含む作品としてこれを挙げておくのはやっぱりアリだろうとも思います。
 幻想序曲<ロメオとジュリエット>は1869年に初稿が完成していますが、それは現在最も演奏機会の多い版(第3稿)とはかなり違います。曲の出だしから別物で、速く激しい動きをする辺りから同じ主題が現われますが、全体的にはやっぱり別物ですし、第3稿ほど面白くは聴けないはずです。とは言え初稿のCDも出てはいます。ジェフリー・サイモン指揮のロンドン交響楽団(Chandos)とか。
 第2稿については僕は未聴なので触れません。で、1880年に書き上げられた第3稿。初稿からの10年ちょっとの間にチャイコフスキーは交響曲第4番、バレエ<白鳥の湖>Op.20、ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35、そしてオペラ<エフゲニー・オネーギン>といった名作を生み出していました。特にバレエやオペラといった文字どおり劇的な音楽についての表現を彼なりに追究していったことも踏まえての<ロメオとジュリエット>への立ち返りは非常に大きかったのではないでしょうか。
 <ロメオとジュリエット>はもちろんシェークスピアの戯曲に基づいていますが、物語の筋を単純に時間的に追うのではなく、運命的な家同士の争いやそれを乗り越えようとする恋愛、そして彼らの間に立つ修道僧ロレンスのイメージを主題とし、それらが絡み合うことで出来上がっています。演奏時間にしておよそ20分ほどの作品ですが、旋律美の極みとも言うべき2つめの主題(恋愛を描いているとされている)をはじめ、それぞれの主題が素晴らしく引き立っており、聴くとあっという間です。
 そんな<ロメオとジュリエット>のディスクですが、僕はやっぱり甘さ控えめでも十分に優れた作品だと思わせてくれるエードリアン・ボールトとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI/ワーナー)をまず挙げたいと思います。現在いちばん入手しやすいのはボールトのもろもろ10枚組ボックスのようですが、これは正攻法の名演揃いなので。
 それからボールトのスタイルの真逆にはなるのでしょうが、往年の大指揮者ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1930年の録音(membran)も挙げておきましょう。2つめの主題のテンポの揺らし方や、弦楽器のポルタメント(音のずり上げやずり下げ)を多用した歌い回しによる甘美さの強調はいかにも昔風の演奏なのでしょうが、それはそれで彼らがチャイコフスキーの生きていた時代(に近いもの)の空気を知っている音楽家たちであるという認識はあっても良いのではないでしょうか。こちらもちょっと入手しづらいかも、ですけれど。
第23回:チャイコフスキー/幻想序曲<ロメオとジュリエット>_f0306605_0425493.jpg第23回:チャイコフスキー/幻想序曲<ロメオとジュリエット>_f0306605_0431487.jpg
# by ohayashi71 | 2014-07-18 00:45 | 本編

第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」

 「ど」が付くぐらいのメジャーな作品を。
 アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)の「四季」と言えば、まあクラシック好きでなくても何処かで耳にしたことはあるはずの作品ですね。僕は中学の音楽鑑賞で聴いたのが最初だったように思います。多分、クラシックにハマるよりも前だったと記憶していますが、正直そんなに楽しめなかったようです。そりゃあ子ども心に「きれいだな」ぐらいは思ったかも知れませんが、少なくともそれきっかけでクラシックにハマらなかったのは確かです(僕の場合はラヴェルの<ボレロ>きっかけでしたから)。
 クラシックを毎日のように聴くようになっても、ヴィヴァルディにしてもバッハにしても、とにかくバロック音楽にはまだピンときませんでした。それが少し変わったのは高校に上がってからのことで、何となく「四季」のCDを買ってみようかという気になりました。それで買ってみたのが、当時のガイド本で評論家先生方の賛否が割れていたニコラウス・アーノンクール指揮のウィーン・コンツェントゥスムジクス盤(ヴァイオリン独奏:アリス・アーノンクール)(Teldec/ワーナー)でした。
 これはとても面白かった。とにかくそれまで僕が聴いていた「四季」のイメージとまるで違う演奏だったからです。音のアクセントの独特な付け方、テンポ設定や揺らし方、独奏ヴァイオリンをはじめとした各楽器の鳴らし方の細やかな工夫、そしてそれらを総合した時の印象として顕れてくる「ドラマとしての音楽」の強烈さ。
 確かに「四季」の楽譜には各季節の様子を描いた作者不詳のソネット(十四行詩)が添えられており、それを音楽化したものがこの4つの協奏曲なのでしょう。そう考えた時に、そこで描かれている風景の中で聞こえてくるはずの実際の音を楽器で真似たり、そのイメージに近付けようとする弾き方をしようとするのは当然アリの考え方です。少なくとも18世紀のヴィヴァルディと19世紀のベートーヴェンやメンデルスゾーンの音楽が別物であることは間違いありません。今でこそ、クラシック音楽の演奏の中で「古楽」というスタイルは、歴史考証的な位置付け以上の存在感を持っていますが、僕がクラシックを聴き始めた1980年代半ばでもまだまだ決して十分に認知されていた訳ではなかったと思います。その意味で、「四季」という作品のレコード録音においてアーノンクール盤の果たした役割は大きかった、と言われているようです。
 さて、アーノンクール盤の登場から30年以上経った訳ですが、それからどうなったか。「古楽」スタイルによる演奏の幅はどんどん拡がって、十人十色というか百家争鳴というか、とにかくいろいろなアプローチによる演奏が出てきました。そんな中、今でも僕はアーノンクール盤を愛聴していますが、もうひとつ挙げるとすればファビオ・ビオンディの独奏と指揮によるエウローパ・ガランテ盤(Opus111)でしょうか。「四季」で描かれているドラマを更に追究し、鮮やかで生々しささえあるものとして表現しているようにも思えます。バロック音楽という言葉が優雅さを示すだけの代名詞である時代は終わったのです。
 他にも楽しい演奏はいろいろありますが、変わり種もいくつか。
 ピリオド楽器による「古楽」が主流になってしまうとこれまでのようなモダン楽器による演奏の存在意義は無くなるか、というとそういう訳でもありません。その視点で言えばギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカのCD(Nonesuch/ワーナー)には、クレーメルらしい試みがあります。それはヴィヴァルディの「四季」のそれぞれの間にアストル・ピアソラの<ブエノスアイレスの四季>を挟み込むというもので、だからアルバム・タイトルは<EIGHT SEASONS>です。18世紀の四季と20世紀の四季との対比の妙。またピアソラの方のアレンジの捻りが効いていて、ピアソラなのにヴィヴァルディのフレーズが突然入り込んでみたりもします。これはそれぞれをまとめて前後に置いてしまったら面白さは間違いなく半減するはずで、さすが「鬼才」というCDです。
 続きまして。
 ヴィヴァルディの作品は彼の生前からイタリア以外の国々でも愛好されていました。しかし、著作権意識の薄い時代のことですから、良からぬ?企てをする音楽家も居る訳で。フランスに二コラ・シェドヴィル(1705~82)という音楽家がいました。彼はミュゼッとというフランスのバグパイプ的な楽器の奏者でもあり、それを使った自作も発表はしていたのですが、1739年にヴィヴァルディの「四季」を元にして<春、または楽しい季節>という曲を出版しました。これがすごい。「四季」の楽器編成を単にミュゼット、ヴァイオリン、フルート用にしただけでなく、他のヴィヴァルディの曲の楽章と入れ換えたり、順番を換えたり、更に独自のフレーズを入れてみたりと、やりたい放題に仕上げています。僕は中古CD店でパラディアン・アンサンブルのCD(Linn Records)をあんまり深く考えずに買ってみて、後で聴いてぶったまげましたね。まあ、おおらかな時代だったということで。そんな1枚。
 最後にもう一つ。
 シェドヴィルはともかくとしての話ですが、「四季」にはドレスデン版と呼ばれるものが存在していて、それは原曲が弦楽合奏と通奏低音だったのが、ここではリコーダー、オーボエ、ファゴット、ホルンといった管楽器が含まれているのです。ヴィヴァルディ自身によるものヴァージョンではありませんが、生前のヴィヴァルディはドレスデン宮廷との結び付きもあり、管楽器入りの演奏記録もあったことで、そこからのある種の復元版ということのようです。弦楽器と通奏低音だけでも十分に色彩的な音楽なのに、それに管楽器が加わるとどうなるか。そういう楽しみ方も出来るので、いい時代になりました(笑)。CDはフェデリコ・グリエルモの独奏と指揮でラルテ・デラルコの合奏(CPO)
(上段、左からアーノンクール盤、ビオンディ盤、クレーメル盤。下段、左からパラディアンens盤、グリエルモ盤)
第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」_f0306605_1442843.jpg第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」_f0306605_1444957.jpg第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」_f0306605_145543.jpg
第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」_f0306605_1452368.jpg
第22回:ヴィヴァルディ/協奏曲集Op.8<和声と創意への試み>より 第1曲~第4曲「四季」_f0306605_1454546.jpg
# by ohayashi71 | 2014-07-08 01:48 | 本編


いつもコンサートの解説をお願いしている若林さんに、毎月オススメのCDを伺います!


by ohayashi71

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
本編
はしやすめ
未分類

以前の記事

2017年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月

お気に入りブログ

メモ帳

検索

その他のジャンル

画像一覧